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一方通行

 チャプチャプとバケツいっぱいの中身が揺れる。身体を上手いこと傾けて、溢れないように歩いていく。
 校舎の北側に位置する廊下はキンと冷たい。しかし、すれ違う生徒たちは気怠そうな緩みきった表情を浮かべていた。

 あちらこちらの教室から机やら椅子やらを動かす音が聞こえる。
 十二月二十五日。クリスマス、終業式、年末年始。
 そんな浮かれた生徒たちがやらされているのは、学期末の大掃除だ。ガタガタという音を掻き消すような大きな喋り声が聞こえるあたり、皆考えることは同じなようだ。
 かったるいよね、わかるわかる。
 頭の中で同意しながら、私は何枚もの雑巾を洗って底が見えない程に汚れた水の入ったバケツを洗うために寒い廊下を進んでいたのだ。

 水道には先客がいた。私はそれを視認すると気付かれないように眉を寄せた。
 先に雑巾を洗っていた女子生徒は気配を察したのかこちらを見て、私だと分かるとすぐに目線を逸らした。
 横長の水道、五つの蛇口の一番排水口に近い端の蛇口を彼女が使っている。私は仕方なく彼女から一番遠い端の蛇口の前に立ち、鈍い音とともに重いバケツを縁に置く。

 躊躇なくバケツをひっくり返した。
 どぶ色の水が、排水口に向かって勢いよく流れていく。

 ──きっとここの水道も、誰かが掃除したんだろうな。
 わざわざ一番排水口から離れた位置から放たれる汚水。それがまるで、氾濫した川の濁流のようで、罪悪感とほんの少しの高揚感のようなものを覚えた。

 水の流れは一方通行だ。
 勢いのまま排水口に向かっていって、吸い込まれる。
 彼女は相変わらず手に持った雑巾を洗っていた。私の目にはもう綺麗に見えるが、何度もゴシゴシと擦り合わせている。彼女の手や雑巾から溢れ落ちる水はなんの色も含んでおらず、透明なのに。几帳面なことだ。

 その透明を、私の放ったどぶ色が巻き込んで汚して、落ちていく。
 それをひたすら目で追う私は、きっと酷く幼く、気味の悪い表情を浮かべていたことだろう。

 もう少しでバケツが空になる、というタイミングでキュッと音を立てて、彼女は水を止めた。そしてこれまた几帳面に雑巾を絞りきると、一瞬、こちらを憎々しげに睨んで去っていった。私はそれに気付かないふりをしながらバケツを逆さまにひっくり返した。

 空になったことを確認し、蛇口を捻って水を出す。学校の水道に温度調節なんて親切な機能は付いていないため、冷えきった水が容赦なく私の手を濡らしていく。
 蛇口を全開にしてバケツを再びいっぱいにする。
 そして今度は汚れてしまった水道をしっかり掃除するために、私はバケツをもう一度ひっくり返した。

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