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ピアノと和解できて良かった

僕は人に比べて、手が小さい。学生時代には、手を比べっこして、「かわいい〜!羨ましい!」と言われたことがある。ありがとう、と笑って見せたけど、内心黒い霧が立ちこめたような気分だった。だって僕はピアノをやっていたから。

1オクターブも届かない自分の手に、いつも憤りを感じていた。手が小さい。それだけの事が、ひどく理不尽なことに思えた。なんだか、それは象徴のような気がしたのだ。
皆の少し大きな手は、自分よりきっとたくさんの星の砂をすくうことができる。きっとたくさんの、幸福をつかむことができる。

皆は、「忘れ物チャンピオン」なんて先生から言われないし、テストで名前の書き忘れもしないし、ペン回しばかりしていない。皆は、逆上がりが出来るし、跳び箱もこわくないし、二重跳びだって出来る。いつも、見えない溝を感じてしまっていた。その象徴が、自分にとっては1オクターブだったのだ。もどかしい、悔しい、ぴりぴりとした小指は、どう足掻いてもやはり届かない。
生まれ持って皆には何かがあって、僕にはない。
たった数センチの差が、とんでもなく広く深い溝のように思っていた。

いつしか、僕はピアノが嫌いになっていった。僕は、ピアノの楽譜をいくら勉強しても理解することが難しかった。それに指もモタモタしてしまって、1年に1曲をなんとか仕上げるようなペースだったのだ。個人レッスンで、ピアノの先生のお宅に伺っていたのだが、そこでも中々スムーズに弾くことができなくて、時には叱られて泣いてしまった。

最初は、始めた頃は、ピアノが好きだった。ポンと押せば、跳ねるように鳴る。長く押せば、伸びたように鳴る。それがたのしく、胸がカラカラと共鳴した。指先がはねる。音があふれる。部屋に、音が満ちていく。同じ曲でも、日によって色合いが微妙に異なるのもおもしろかった。今日は、あかるい。今日は、ちょっとくすみ色。そんなふうに、自分を客観視する鏡にもなっていた。

大学受験を期に、ピアノを習うのを辞めた。なんだか内心ほっとしたような、少しだけ寂しいような、不思議な気分だった。もう弾かないの?と親に尋ねられて、「もう、いい。弾かない。」と言ったのを覚えている。幼子の喧嘩のような別れ方で、僕はピアノから離れていった。1オクターブの呪縛から、逃れたかった。自分の弱さや劣等感から目を背けたかった。ただ、それだけだった。

4年ほど前に、父から新しく電子ピアノを買ってもらった。誕生日プレゼントに、年甲斐もなくねだったのだ。なんだか、仲直り出来る気がした。
今なら、またたのしく弾けるんじゃないか。そんな考えで、わざわざ買ってもらったのだ。
でも最初の1ヶ月程で、また弾かなくなってしまった。また、アレを観測してしまったから。「1オクターブの溝」は、今度は学校ではなく、社会という場で見られた。アルバイトが上手く続かない。会話の空気が上手く読めない。そうして自分に、真っ赤なレッテルを貼ってしまった。赤は、マルバツをつけるペンの色。赤は、退場のカードの色。

なにもかも、嫌になってしまっていた。「何か」が足りない自分。「何か」を持っている他人。
エヴァンゲリオンで観て、はっとした描写だったが、主人公の碇シンジは不安になると手をグーパーする。あの癖は、僕にも散見された。
もっと、ちゃんとした自分だったら。
もっと、皆に似たかたちで居られたら。
何度も願い、祈り、傷つき、失望し、その度に自分へのレッテルは増えていった。


それが訪れたのは、唐突だった。まるで、ずっと音沙汰のない友人から届いた手紙のようだった。
ふ、と、弾きたくなったのだ。ちりちりと電気が走り、そこに引力が生まれた。きっかけは本当に些細だ。YouTubeで、ピアノを生き生きと弾いている配信者さんの姿を見た。すごく楽しそうだった。
義務でもなければ、ノルマでもない、音の連続体。それが、曲だった。

自分に貼り続けたレッテルを、必死に剥がした。剥がす時はやはり痛かった。泣いて、泣いて、泣きながらピアノの埃をはらった。指は震えていた。本当に、ふれてもいいの?自分にはそんな資格が、あるの?――それこそが、最後に剥がしたレッテルだった。

たどたどしく、指の先から音がうまれていく。シャボン玉のように、ふくらみ、くっついて、飛んで、消えていく。「仔犬のワルツ」は、まさしく産まれたての仔犬だった。ふるえながら、なんとか立って、歩いて、転んで、歩いて…少しだけ駆けて、じゃれて、また転んで。
楽しかった。
「1オクターブ」届かなくても、僕は僕のままで、ありのままで、好きに生きればいい。上手くなくていい。上手く生きれなくても、いい。転びながらでも、途切れ途切れでも、いい。失敗しても、恥をかいても、それもまた味になる。きっと自分が自分として産まれるのは、1度しかないだろう。小さな手でも、風船はつかめる。小さな手でも、大切な人と手を繋げるじゃないか。そんなふうに、思えた。

肩の荷がすこし降りて、一通り弾いたあと、ピアノに「ごめんね。」と言った。
長い長い、喧嘩だった。

――ピアノと和解できて、良かった。

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