凸凹で、器用にはできない私が好き
最近、いろんなことを簡単に学べることが出来る時代になったから、やっぱり器用に綺麗にまとまってポンって出せる人がちょっと羨ましい私がいたんです。だけどね、私はいつもそうはできなくて。そんな自分と人を比べて、昔はいつもダメ出ししていたことを思い出したんです。
でも、今はみんなサクッと学べるから、文章も上手な人も多いし、いろんなことの透明度が高くって、きちんとみんなのやりたいことや夢が、タイムラインというショーウィンドウにちゃんと収まって並んでいて。だけど、私はひねくれものだから、それがつまらないと感じるようになっていました。
みんな当たり障りのないような、まるで魅力的に感じる言葉を並べているけれど、どの文章がどの人のものなのか、5分後には思い出せないポストを見ていると、私はそこに並びたくないって思ってしまうんですよね。私が魅力的だと思うのは、いつもイレギュラー。それに、凸凹で、器用には並べなくて、綺麗にまとまれない私の言葉では、もしかしたら言いたいことの10分の1も、伝わらないのかもしれないし、届けたい人に見つかるのは遅いかもしれないなって悩んだことは私もあるんです。だけどね、それも、全部私だから。これが私だから。私の不器用さもまるっと込めて、一歩一歩進むウサギとカメのカメのように、私は言葉に想いを載せて、届けたい人のために今日もnoteを書いています。
誰かの後ろをついていくことが、私はできないんです。だけど、一緒に進むことは得意だし、甘えることは超得意。そんな私を許したら、自分を表現することも、私の価値観をだしていくことも、楽しいことでしかなくなって、とっても幸せなんですよね。選ばれることも、バズることも、私にとってはおまけでしかなくて、私らしくあれたのなら、私にとっては大正解。
こんな凸凹で、綺麗じゃない私の事を見つけてくれて、繋がってくれた人たちに、今日はありがとうを言いたくなった、そんな日曜日の夜でした。
いつも、ありがとう。
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