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俺の足元には、まだ

「画一性に袖を通す日々だけを懐かしんでる」
ちょっと前に書いた詩曲の一節、監獄などと呼んでいた高校を卒業してもう半年近く経つのにも関わらず、私はまだあの日々・生活の居心地の良さについてエアコンの下で夢想している。

卒業したあの日、私はこれが「この生活の終わり」であることはわかっていたし、その実感も薄々所有していたが、これが同時に「別れ」であることは
全く感じなかった。「今日、ここで過ごした6年間が終わる」が、終わったその先で私達がどう変わっていくかは全く見えてなかった。きっと今までと同じだろう。ふらっと遊びに行ったりできるだろう。簡単に会えるんだろう。そう信じて疑わなかったから、あの日に「別れ」を感じることは最後まで無かった。

そもそも友達も多い方では無いし、大して関わってないような人なら疎遠になろうが構わない。だが、数少ない友達に「じゃあな」と声を掛けてただ去ってしまうことには抵抗を覚えていた。しかし人の勇気というのは脆弱なもので、結局のところ私は少しだけ惜別の情を載せた「じゃあな」を彼らに放って背を向けた。多分いつもと同じ笑っても泣いてもいない間抜け面をしていたと思う。

この日を境に今までの「生活」が過去の「記憶」になって、それは腐敗を開始した。そうして変わり切った新しい現実を過ごしていく中、その腐肉で食傷を負って初めて、「別れ」を感じた。それを自覚すると同時に、私の右足は卒業式の日から一歩も地を離れていないことにも気が付いた。

「別れた」彼らは新しい生活でそれなりに上手くやって、その行先は心地良い場所なのだろう。しかし私は、あの日のアスファルトから足が上がらなくなっている。「どうか、置いていかないでくれ」と子供じみたことも一時は願っていたが、「彼らの邪魔などしたくはない」という簡単な理由から、考えることすらやめた。周りに置いていかれることは昔からよくあることだから、今更なんとも思わない。これは嘘です。

では、あの日から動き出さないこの足はどうしたら良いのだろう。いつまでもこのままじゃいられないのは分かってる。巣を失った蜂のような、帰る場所が無くなってしまったような気がして仕方がない。
あの日々にやっていたことは今と大差は無い、
ただ学校に行って、授業を受けて、空いた時間や放課後に友達と話したり、たまに遊びに行ったりする。特筆することも無い平凡な話、どこにでもあるような関係。その日々が上等に見えるのはただ高校生だからで、それは私と彼らじゃなくてもそう見える生活だっただろう。
それでも、少なくとも私にとって「別れ」を惜しむに十分なものであったことは確かだ。

私の中では六年間に及ぶあの生活はもう終わってしまったが、まだあの場所には私たちの六年間が残っているように感じた。母校に一度足を踏み入れた時、何も変わっていなかった。ただあの場所での生活から、私と彼と彼女と知らない誰かが消えただけで、この先後輩が去ってしまっても、生活は絶え間なく恒常的に紡がれていく事を悟った。
それは終わった六年間のスピンオフを見ているようだった。

そうして今日も新生活を象徴する西武線の景色に目を瞑って、
それでもこの生活が逆行する訳でもなくて、
二進数に還元できる33mbの記憶をスクロールしてる。その残り香が全くしなくなった頃には、ここも別れを惜しめるような場所になるだろうか。もしそんな日が来るとしたら、それは少し寂しいが大人になったという事なのだろう。その時は、「じゃあな」以外の言葉をまだ顔も知らない未来の友人に言えたら良いと思う。感傷的な事な独り言を書いていたら、今年も夏が来てしまった。
こんな暑い日に、足元でまだ桜が散っているのは俺だけなのか。

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