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コンビニで買える鬱病 5/11(夜

「コンビニで買える鬱病」という組み写真のキャプションです。

何年も前から鬱病を患っている。特にいじめられたとか、そういう何か大きな理由があったわけではなく、友達と上手くいかない、今日も誰かに迷惑をかけた、何もできなかったとか、そういう誰にでもある、むしろ恵まれているからこそ生まれる出来事だけで、今日も明日も床の木目を数えるだけの日々と化している。
 贅沢だな、と思っている。世の中にはもっと強い絶望を感じていても生きている人がいるというのに、こんな矮小で誰でも感じるような憂鬱で倒れ込んでいる自分は、どうしようもなく弱い人間で、劣っていて、自分に甘くて幼いのだなと感じる。だからと言って憂鬱から脱することはできないから、少しでも罪悪感を減らすために、この憂鬱や痛みは贅沢で、こうして音を上げることは恥ずかしいことなのだと自分に言い聞かせる。そうでもしないと、社会や常識という"正しさ"は僕が存在することを許してくれないような気がするから。
 きっと、常識や社会を作っているような他人から見れば、僕の病や障害なんてものは、心底下らなくて、どこでも手に入って、都合が悪くなればすぐに捨てられる物なのだろう。分かり合えない、それでも正しいのは彼らの感情なのだから、譲歩して、謝って、甘えだと言って、今日も不快感に蓋をする、"正しさ"の不可解な姿を眺める。

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