見出し画像

つばめの雛に出会いました💗
可愛い生命ですね✨

様々なウイルスとワクチン、戦争、、
「命の重み」というテーマは、人生において根源的な問いのでもあります。

誰しもが、一度は命の意味や、命を大切にすることの重要性について考えることがあるでしょう。

医療においては、横たわるだけで治療できるベッド、チップの開発など、映画の世界が現実味を帯びてきました。
現代社会において「死」というテーマは、重く感じるかもしれません。
しかし、命を生き抜くために必要な思考で、考えるきっかけにしていただければと思います。

1. 生と死とは何か?

 生と死は自然界の循環であり、ある意味、自然なことですから、
良いもわるいもありません。観念のひとつです。
しかし、人は生を望み、死を忌み嫌い、恐れる人が多いと思います。
果たして、生きるとか死ぬとか、どれほど、重要に感じているでしょうか? 

 生と死は哲学的な問いでもあります。
亡くなった人を想うときや、死を迎える際、自分自身の倫理観や信念について考えるきっかけになるのではないでしょうか。

人はみな、生まれた瞬間から、例外なく、死に向かっています。
不思議なもので、死を目の前にしてから、生を真剣に考えます

 父が亡くなるとき、延命措置をとるか、決めてくださいと病院の先生に言われました。生と死は医療技術の進化によって、人工的に誕生も延命も可能になってきました。死ぬときも、選べる時代になってきて、簡単には死なせてくれないんだなと思いました。
そのような時代になってきたなら、とくに、倫理的問題も含め、人の尊厳を考えることが必要だと考えるのです。
誰にでもやってくる死が、生を考えさせるならば、向き合い、受け入れる力が大切です。

2. 生命と死の境界線とは?


-生死一如
生死は切り離すことはできません。
この世に生を受け、死を意識しなかったとき、いつの間にか、頭の中は、食べていくことがいっぱいで、、毎日が苦しく、笑っていても、無感情で、死んだように暮らす人でした。
死が無ければ、生きてゆく上の衣食住はさほど重要でなくなっていきます。生活の彩りもどうでもよくなります。どんな退屈な毎日だろうと、または、不治の病だろうと、交通事故に会おうと、苦しいですが、死ぬことがないなら、時間だけがいたずらに過ぎ去っていく生き地獄のようなものです。

限られた時間である生と死を考えた時、
人生をこのまま無駄に過ごしたくないと本気で思いました。

命は絶対に尽きるもの。
限られているからこそ、私たちは、懸命な選択をしてその旅路を生きようとします。
まだ先だと考えて、先送りの人生をしていたら、突然、訪れた死に慌てふためくでしょう。時間は砂時計のように、終わりになると、刻む「時」は同じなのに、なぜか早く落ちていくような感じがします。

 


ひとつの命の重みは、死に向かってどのように生きてきたかであり
命の長さではありません。

誕生の誕は、言を延べると書いて、「誕る」いつわると読みます。辞書を引くと「でたらめ」なかったことを言い続けたら生まれる。
映画マトリックスの世界感です。
「生」対して、「死」は、逝去、他界、涅槃、往生、成仏、多様な言い方があります。
生前はお世話になりましたという言葉がありますが、生まれる前に??

海外ドラマのように、シーズン1,シーズン2とリセットしながら、
ストーリーは毎日更新するのかも。

死んだら、本当に違う次元へ生まれ変わるのかもしれませんし、
どちらにせよ
死んでからのことは、誰にもわからないことですから、
巻き戻しの出来ない一度きりの人生を謳歌したいものです。

死生観の多様性

私が幼いころ、規則に縛られた記憶はほとんどありません。
気にしていなかったからかもしれませんが、校則も緩く、制服の決まりもなければ、門限もそんなにうるさくない。
いつのまにか、モラルだとか、規則、規制とか、ルールばかりの世の中に慣れ、普通がわからないまま、普通のレールを歩こうと必死でした。
自分を見失ったのです。死を考えた時、私自身、真面目に生きてきて、不公平な社会に不満を持ち、人生を諦めそうになりました。


規則ってなんでしょう? 規則を決めたときには、おそらく、確実にそうしたら何かを守れることに繋がったり、良くなるルールです。
今、規則やルールが溢れかえっています。
本来、そのルールは、誰のため、なんのために出来たのでしょう?
本来の役目が忘れ去られ、形だけが残ると息苦しさや疑問が生じます。
マスクも、予防の目的から、最近は、化粧なしで外出できる便利ファッションアイテムに変わった人もちらほらw

幼いころ、姿勢を正して座りなさい!
耳にたこができるほど親に言われた経験のある方は少なくありません。
姿勢を正すと、胸を張るような、背が高くなるような、、とにかく、身体においても、メリットはいっぱいあります。ですが、ただ、姿勢を正せと言われても、子供にはうるさいだけで、なかなか伝わりません。

どのように良いのかを理解していないからです。
駐車禁止を取り締まらず、駐車の枠内に料金を払った車の1分過ぎるのを待って駐禁で取り締まっているのを見かけました。
もちろん、それは違反かもしれません。
そんな空っぽなルールが山ほどあります。
社会での選択肢が広がり、つべこべ言わずやってみろ!
では、時間のない現代人には、やったとしても窮屈に感じるか、麻痺して、無気力になります。

「姿勢を正す」背筋を伸ばし、気持ちを入れ替え、心の在り方を正すことで、死生観をあらためて考え、生を感じるために生きることを選択した時、
普通の何歳はこうだとか、流行やファッション誌に流されることもなくなり、自分が作り上げた「こうあるべき人」から解放されたとき、本来の自由に出会い、日常が色鮮やかに映るようになりました。

生きる上での価値観、死に対する考えも、人様々です。
亡くなった方も、素晴らしい記憶で埋め尽くされれば、素晴らしい人として
私たちのそばにいることと同様に、ある時は、励まし、慰めてくれます。

人間の脳が、私たちに現実を認識させるまで、0.2秒以上かかるそうです。
そう考えると、私たちは記憶という情報の中で生きているのかもしれません。2017年、TED登壇者のアニル・セス氏によれば、現実とは、人々が共有された幻覚にほかならない。現実は、脳が予期した総体と説明しています。

科学は、目覚ましく発展してきました。
希望を持ち、脳が予期できるように、準備、経験を重ねれば、必ず手に入るのです。絶対に、あなたのその夢は叶うと聞いたら、あなたは挑戦しますよね?

多くの人が、限られた素晴らしい人生だと真摯に受け止める。
そして、本当に大切なものを発見し、あらゆる制限から放たれ、
全力で生きていると心から実感する在り方を考えるきっかけになりますように✨


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?