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【特集】第26回参院選(2022年)自民党――過疎化する自民と地方をめぐる攻防

過疎化する自民

 自民党は都市と地方のどちらの方で強いのか。その問いへの答えとしては、ただちに以下の図を示すことができます。これは第26回参院選(2022年)の比例代表における自民党の絶対得票率――つまり自民党に投票した人が有権者全体に占める割合を、4つの階級で表したものです。その割合は赤に近づくほど大きくなっています。

図1. 第26回参院選(2022年)比例代表・自民党絶対得票率

 さらに次の図を見てください。これは第26回参院選(2022年)が行われた年における過疎の地域を表示したものです。

図2. 過疎区分(一般社団法人全国過疎地域連盟による令和4年4月1日時点の区分)

 過疎は自治体の人口や財政力の要件によって評価され、部分過疎、みなし過疎、全部過疎の順に、後のものほど深刻であるとされています。つまり図2では、赤の地域ほど厳しい状況にあるわけです。

 図1と図2がこれほど似たものとなることに驚かれた方も少なくないのではないでしょうか。実はこれは以前「みちしるべ」の中で行った議論と重複するのですが、当時から時間が経ったのと、今回の記事の出発点となるものなので、全体公開として触れることにしました。

 ここで重要なのは、以上に見られた地方の地盤はあくまで高度経済成長の時期(1955年~1973年)に発達したものであることです。世代の交代や過疎化の進行とともに地方の地縁や血縁は薄れつつあるため、自民党の基盤もまた、次第に不安定化しているといえるのです。

 以下に、図1を20階級で塗り直したものを改めて示しました。

図3. 第26回参院選(2022年)比例代表・自民党絶対得票率

 自民党の地盤が都市より地方に、太平洋側より日本海側に、そしておおむね海沿いよりも内陸に分布する傾向がうかがえます。次にこれを昔の自民と比較してみましょう。


田中角栄の参院選

 以下の図4に、一例として、田中角栄内閣のときに行われた第10回参院選(1974年)の全国区における自民党の絶対得票率の分布を示しました。今から50年前、自民党の集票力は実にこれだけあったのです。

図4. 第10回参院選(1974年)全国区・自民党絶対得票率

「全国区」はかつて採用されていた制度ですが、今の参院の比例代表のように全国のどこでも投票先の選択肢が変わらないため、各地を統一的に見ることができます。図3と図4の比較からは、当時の地方にいかに分厚い保守層がいたのかがうかがえます。

 ここで、あえて第10回参院選(1974年)を取りあげたのは、これが高度経済成長が終わった翌年の選挙であるからです。当時はどのような時代だったのでしょうか。政治的事件から読み解くよりも、ここではより素朴な指標で振り返ることにします。次の図5に、内閣府の消費動向調査(出典)による、家電製品などの主要耐久消費財の普及率の推移を示しました。

図5. 55年体制下における主要耐久消費財等の普及率

 1960年代に前後する十年あまりは、暮らしが急速に豊かになっていった時代でした。地方ではそれに加えて農業技術の向上や道路網の整備も発展に寄与しました。もちろんこうした成長は、より広い視野で見るならば「共産圏への防波堤」や「資本主義のショーケース」としてアメリカから与えられた役割がもたらした結果であり、他方で冷戦(1947年頃~1989年)やベトナム戦争(1954年頃~1975年)があったことを併記しなければならないでしょう。けれどもこうした頃の記憶は、当時を生きた世代の人生と重なるような深い部分にあり、どの党を支持するか、どのようなイデオロギーを持つのかといったことより前に、世論の根底をなしたのです。

 1955年に結成された自民党の歴史、初期の55年体制には、こうした背景がありました。所得が増え、身のまわりのものが増え、全国にわたる道路が築かれる――そうした実績を掲げつつ、自民党はその時々の選挙に臨みました。今の暮らしが以前と比べて良くなったと感じる人は、私たちに投票してください、それは私たち自民党がやったことですから。そう感じない人はどうぞ野党に入れてください、というように。それは確かに堂々たる選挙というよりほかにありません。

 自民党は、戦後の日本においては、やはり別格の基礎を持った政党でした。図4に見られる票の厚さこそ、絶えず豊かになっていく社会に生きた人々が寄せた期待と信頼のあらわれだったのです。


保守すべきものが消える時代

 けれども現在の自民党が、かつてのような凄みのある選挙を展開できると果たして言えるでしょうか。バブル崩壊から30年あまり、平均賃金は上がらず、雇用は不安定化し、医療や介護の見通しは暗く、消費税の引き上げによりポケットの中の千円札は「九百円札」と化しました。今の人々の実感は、むしろそういったことなのです。

 そうした現実を都市に住む人が「やむを得ない」、「政府はよくやっている」、「日本はまだ凄い」と言ってやせ我慢している分には良いかもしれませんが、深刻なのは地方です。このままでは少子化や高齢化の進行によって、地方の人たちはそこに住み続けられなくなるという事態を突きつけられるようになるからです。

 次に示す図6は、国立社会保障・人口問題研究所の『日本の地域別将来推計人口(平成30(2018)年推計)』による生産年齢人口の推移を、5年ごとに2045年まで地図表示したものです。生産年齢人口とは15~64歳の人口で、それが2015年と比べて3分の2未満になる市町村を黄色、半分未満になる市町村を赤色で示しました。なお福島県は県全体での推計が行われているため、ここでもそれに従って塗っています。

図6. 生産年齢人口の推移

 2045年で赤色となる市町村は787もあり、実に日本全体の半数近くにのぼります。近い将来、これほど多くの自治体に生産年齢人口の半減という事態がつきつけられるのです。これは9年前の国政調査をベースとしたものですから、その後の新型コロナウイルスの流行にともなう出生数の低下などにより、今後の見通しはさらに悪くなることが考えられるでしょう。

 このように地方が一方的にやせ細るようになってしまったのはどうしてなのでしょうか。自治体の維持が難しくなるほどの過疎になったのはどうしてなのでしょうか。それは地方の若年層が都市へと激しく移動するような経済政策がとられてきたからであり、長きにわたって政権を担ってきた自民党の失敗と言うよりほかにないのです。

 もちろんかつての高度経済成長の頃にも、地方の若い世代の多くが都市部に集団就職していくというできごとはありました。けれどもそれは地方の衰退を意味しませんでした。工業地帯で生産された機械や肥料、農薬が普及し、地方に農業生産力の向上と人口の増加をもたらしていたからです。

 現在の都市と地方の構図は全くそのように釣り合っていません。都市部に投資して産業を潤すのは、一部の発展には寄与するでしょう。しかし社会のリソースが無尽蔵ではなく、実現できる「もの」や「こと」に限りがある以上、何かを潤す時、背後で損なわれるものがあることを見落とすわけにはいきません。そうした政策は人々をいっそう都市部に集め、地方の過疎化を促します。地方がやせ細り、やがて限界に達すれば、都市への労働力の供給はなくなります。地方の自治体が持続できなければ、都市の経済も崩れていくことが避けられないわけです。


自治体の存続をかけて

 自民党は、戦後の発展を担ってきたがゆえに、社会のあちこちに様々な利権を持っています。また国会の多数に加えて財界・官僚・マスコミをおさえ、学問の世界や労働組合にも浸透を図っているわけです。それを支える世論は、高度経済成長からの70年近くの、さらにいえば戦前からの時間の厚さを持っています。このような巨大な政党と、野党はいかなる立場から対峙しうるのでしょうか。

 保守にウイングを広げなければならないということがしばしば言われます。けれどそうした主張をする人たちは、誰も具体的に保守票を取るためのビジョンを説明していません。単にスタンスを自民党に寄せたところで、より多くの実績をもち、より多くの利権を持ち、より大きな組織をもつ自民党には決して勝つことができないでしょう。それなら自民党で良いのだと人々は判断するからです。自民党に迎合したら保守票が取れるという期待は、せいぜい国民民主党ほどの規模の政党が少し票を伸ばすことがありえるというレベルの話であって、野党第一党が行うような議論ではありません。

 政権交代を実現するために必要なのは地方の小選挙区で勝つことです。参院選で伸びるためにも地方の一人区を取ることが不可欠となります。そしてそのためには、複数人区や比例代表と違って、多くの票を一人の候補に束ねていかなければなりません。そのときに、どのような問題意識のもとで各党が調整するかということが問われることになるでしょう。それはこれまでの自民党の政策を転換して、地方を守り、生活を守るということになるのではないでしょうか。

 自民党が巨大であるがゆえに、とんでもない天変地異でも起こらない限り政権を失うことはないと言う人がいます。けれどもそれは起こるのです。20年も経てば社会は一変するのです。それを見越していま変わらなければならないということです。

 日本はいま崩れつつあります。子育ての水準が保てず、人口が維持できないということは、もはや社会を維持することができなくなったということです。誰がこうしたのでしょうか。自民党政権です。だからその政策を転換することが不可欠となるわけです。そしてその立場から、同じ苦境にある地方の保守層をとりこむといったこともできるのです。この記事も、分析をしつつ自民党批判を行っているわけですが、過去にこうした議論をしていちばん頷いてくれたのは地方の自民党の人でした。

 いま地方の人たちは、発展どころか、自治体の衰滅を肌身で感じながら暮らしているという状況におかれつつあります。50歳、60歳といった現役の人たちも、20年後に同じところで生活できるかはわかりません。人が減り、交通機関や商店の採算がとれなくなったなら、それらはやがて撤退に向かうでしょう。税収の減少は行政サービスの劣化をもたらします。災害があった時にも十分な復旧は難しく、さらなる人の流出による自治体の縮小が避けられなくなります。だから野党こそが地方の人たちの苦悩を掬い取っていかなければなりません。

 人口には大きな慣性があり、減少を食い止めたり、再び安定させるのには長い年月がかかります。たとえ野党が政権を取ったところで過疎を食い止めるのは難しい問題です。しかし、社会の限られたリソースをどのように分配して、生活を守っていくのかというケアが、たとえば震災に対する自民党の対応を見ていて果たして可能なのかということが問われなければなりません。この社会でできる「もの」や「こと」をどう組織して事態にあたるかということが議論されなければなりません。

 今後の地方の選挙は、自治体の運営ではなく自治体の存続をかけて闘われることになるでしょう。かつて自民党に投票してきた人たちも、それをめぐって変わろうとするでしょう。それをどう能動的に展開するのかが、これからの選挙の避けては通れない問題となります。有権者も、政治家も、地方が消えていくという現実を前にして変わらなければいけないし、変わる可能性を信じているから人は表現するわけですね。


 以上で前半の議論を終わります。後半では、地方が衰退する中で、自民党の支持基盤がどのように変化したのかを議論することを試みます。

 みちしるべでは現在、各政党の選挙分析をとりあげていますが、個別の選挙や政党に限る話が内容の全てではありません。それらを通じて、今の社会はどのように見えるのかといった全体像の把握、何をすれば変わるのかといった展望を描くことを目指します。ぜひ各政党の記事を読んでみてください。

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