補選について少々
大した内容ではないのですが、4月23日に行われた衆参補選について少しだけ書きます。
4月28日に国民民主の榛葉賀津也氏が、小西洋之氏のいわゆるサル発言に触れて、「あの発言がなければ、大分と千葉はどうなっていたかわからない」と述べました。
けれども千葉5区というのは、もともと2012年以降、自民の薗浦健太郎氏が4連勝してきた選挙区です。しかも今回、野党の候補者は立憲、共産、国民、維新、政女、無所属と乱立しており、基礎となる票は自民の英利アルフィヤ氏が断然多いとみられました。
序盤には立憲の矢崎堅太郎氏が先行しているという報道がされたものの(4月12日・千葉日報)、補選の背景に薗浦氏の政治と金をめぐる問題があり、自民支持層が意欲を欠いていたことと、英利アルフィヤ氏になじまない右派層がいたことがありました。ですから序盤の情勢がどうであれ、自民が票固めを進めれば伸びるはずだと読むのが普通です。また、自民は最終盤で麻生太郎氏を応援に入れるなど、的確に右派を納得させることを目指しました。なのでここは形勢としては苦しかったであろうと思います。
他方で大分は与野党一騎打ちの構図で、力もほとんど拮抗していました。ここで、立憲の吉田忠智氏はもともと社民で活動してきており、2020年12月に立憲に移籍した候補者です。これは福島みずほ氏らを置いていったことにもあたるため、社民の支持者にとっては複雑な想いがあったでしょう。結果的に社民支持層は吉田氏に固まっていきますが、全体として十分に熱量のある選挙ができたのかには疑問が残ります。
ここでもし立憲が小西氏を守り、攻撃に対峙する姿勢を示していれば、吉田氏の従来の地盤はより積極的に活動できたでしょう。社民も吉田忠智氏も改憲に反対の立場ですから、立憲も明確にそうした態度で臨むならば、移籍したけれどもお互い力を合わせて頑張ろうということになるはずです。地盤の大分市で投票率が33.24%になるなんていうことはおきなかったはずなのです。
競り負けは今回ばかりではなく、最近の立憲の選挙ではよく見られるようになっています。つまり選挙期間中の支持拡大ができにくくなっている(選挙ブーストがおきなくなっている)わけですが、それは一つの発言で何か決まるとか、そういうようなことではありません。もっと大きな姿勢があって、その全体の中で、積極的に投票する価値を見出されるか、闘う価値を見出されるかということになるはずです。一つの発言も、その発言がどのような状況の下で生まれ、その発言をどのように取り扱ったのかということのなかで影響するわけです。小西氏の発言をプラスに転じることだってできたでしょう。昨今の憲法審査会の実態を焦点化して世に問うことは可能であったとぼくは思います。だったら本当の責任(問題)はどこにあるのだろう? そう考えていかないと大して事態は変わらないでしょうね。
もちろん国民民主のいち議員の見解に文句をつけても仕方がないといえば仕方ないのですが、昨日ニュースを見てこうしたことを少し思いました。
人間はいろいろなことをしますね。そのいろいろなことの結果として今の世界があるわけです。世界というと大げさな言葉のようですが、自分の生活というほどの意味でも構いません。その作ってきた自分の生活というのは、正の面もあれば負の面もあります。
その作った世界をもういちど超えていくということの繰り返し――毎日、毎時、毎秒のその繰り返しが、人の基本的な在り方ではないでしょうか。文章を書くときも、一行書いて、その書いた行に規定されつつまた次の行を書いていく。それ以外の書き方はありませんね。絵を画くときも下書きをつくり、その下書きに規定されつつ様々な色をのせていく。一行ごとに、一筆ごとに、自ら新たな世界をつくり、つくった世界を超えていく。あるいはつくってしまった世界を超えていく。そのようにして人間は生きるし、政党もまた生きるのではないのかな。
2023.04.29 みはる