躁鬱病の辛いとこ
躁鬱病と診断されてだいたい3年経つ。何でもかんでも病名を付ければいいってわけじゃないけど、確かに自分の行動やそれによる失敗を振り返ると、かなり妥当な診断だとは思う。
躁鬱病の辛いところは、二重人格なんじゃないかってくらい、テンションや考え方が変わること。この前までは100点だと思っていた考え方が、ある時には0点になったりする。どんな夢や目標を描いても、数週間〜数ヶ月後には気持ちが冷める。たぶん、普通の人の何倍も挫折がある。けど、躁のタイミングでは活力が200%くらいあるので、新しい夢や目標を抱く。もし熱く周りに吹聴したら、もうおしまい。挫折したときに、「嘘つき」とか「意志が弱い」と責められるからだ。けど、当の本人からすると、嘘なんか1ミリも付いてない。たくさん考えるし、行動もするから、普通の人よりも挫折が早いだけ。でもそんなことわかってくれない。親だってわかってくれなかったんだから。「あんたは調子のいいことしか言わない」そんな言葉が脳裏に焼き付いている。
考え方がコロコロ変わるから、自分がなかなか定まらない。飲み会とかではしゃぎたい自分もいるけど、人と全く関わりたくない自分もいる。けど、それはどんな人もそんな気持ちはあると思う。ただ、躁鬱病の人は、そこが極端だと思う。飲み会ではしゃぐ時は、上司の頭を瓶でぶん殴ったり、髪の毛燃やしたり、喧嘩したら面白いだろうなと思う。だから、愛想笑いをしている裏の心の中では、その上司のことをぶん殴りたい衝動を抑えなければならない。きっと新聞にも乗るし解雇される。だから、やらないし、飲み会も参加しないことにしている。誰とも関わりたくないときは、関わりたくないというよりかは、みんな滅んで欲しいと思っている。なんだか中二病をひきづってるみたいで恥ずかしいんだけど、本気で思っている。だから、飲み会に行かない選択をしてるし、そのおかげで平和だけど、確かに出世からは程遠いし、上司にも好かれてないだろう。二件目に付き合ういも焼酎ロックでいけます系女子が気に入られて、どんどん出世すればいい。その分、平和に家でご飯作って、Netflix見て、のんびりしてる。
考え方がコロコロ変わると、ときたま自分を測る目線が厳しくなって困る。例えば、生きているだけでok!と、基本的に思うようにしているが、ときに、なんの資格もない自分や、英語を話せない自分、お金がない自分、人脈がない自分、きっと死んでも妻くらいにしか迷惑かからない自分、そんな自分がまじで無価値で死んだ方がいいように感じる。会社でも好かれてないし、そもそも全く打ち解けられていない雰囲気でストレス多い。いてもいなくてもいい自分のことを考えると、つい「自殺 痛くない方法」とか検索してしまう。どうせ躁鬱病の症状だし、何日が経てば治るってわかってる。だから、実行はしないけど、そんなのが数週間〜数ヶ月おきに必ずある。それは正直いって疲れる。そんなときにアンミカの本読もうが、ウルフルズ聞こうが余計に死にたくなる。(ガッツでねーよ、こんなんじゃ笑)
もちろん、これらは躁鬱病の症状だから、最近は、おとなしく有給使って会社を休むことにしてる。開き直ってる。ある意味、タフになった気もする。思い返せば、1年半以上も休職したことあるし、その後の復職の日はまじでつらかった。人生で一番きつかった。けど、いざ行ってみれば、周りは無関心で、みんな自分の人生で大忙し。だから、自分の人生のことを考えてればいいんだよね。誰にどう思われるかとか関係なく。もちろん、そうやって生きるデメリットはあるのは仕方ない。例えば、飲み会断れば、確かになんとなく居心地が悪いし、会社休めば、なんとなく上司の目つきが冷たい感じがある。でも、それは仕方ないよね。その分、平和な日常を送れてるんだし、それがみんなのためでもある。ヤマアラシのジレンマ的な?
他にも躁鬱病になって色々辛いとこはあるけど、まー仕方ないよね。人生いろいろあるし、今慌てて死ななくてもさ、そのうちいずれね。もう若くもないし。そう思って、今回の鬱期も乗り越えよう。
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