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自分の感覚を取り戻すために試行錯誤中

小さいころの母の教えに
「どんな人にもいいところがある。人を嫌ってはいけない」
というものがありました。

ただこの教えには矛盾があって、私の母自体はすぐに人を嫌う人でした。
テレビに出ているだけの芸能人にも「この人嫌い」「あの人嫌い」とすぐに言う。
友達のお母さんのことも別に親しく付き合ってるわけでもないのに「あの人のこういうところがちょっとね」「感じ悪い」等々…

幼少期の私は母の矛盾を摘したこともありましたが
「だから。母さんはこんなだから、あんたはそうならないようにしなさい」
でした。

当時は子供だったので「そんなもんか」と思って、その教えの通りにできるだけ人を嫌いにならないように気を付けていたと思います。

ただ本当の自分は相当に人の好みが激しい人間なんだと思います。
noteにもいろいろ書いてきましたが、思い込みをたくさん抱えているので、その分人のジャッジも厳しくなっているんだと感じます。

でも嫌いになってはいけないのです。
そこで自分が編み出したのが「自分の感覚から離れる」です。
自分の「好き嫌い」に鈍感になれば、人を嫌うこともないので安全と考えたのでしょう。
確かにおかげで人を嫌うことはあまりなく生きていくことができたのかなと思います。

がしかし。
これにも問題があって、おかげでほかのことでも自分の好き嫌いがわからなくなっている部分があります。
これって結構つらくて、なんかこうぼんやりした世界に生きている感覚があります。
みんなが特別あれこれ好きになって、楽しんでいる中で、自分だけなんとなく取り残されているような。
何かを好きになっても、なんとなくフィットしていないような。
自信をもって好きと言えないような。

40歳を目前にして「なんか自分の人生充実してないな」と、ここ数年で急に感じだしました。
何もかもが悪いわけではないけど、なんとなくちょっと物足りない。

「充実した人生といえば、自分の好きなこと、したことをしてのびのび生きていくっていうやつがいいのでは!」
と考えて
「じゃあ好きなことしよう!やりたいことやろう!」
となったけど
「あれ?私の好きなことって何?したいことって?」
と、突然迷子状態になってしまいました。

そしてあれこれ自分の嗜好について試行錯誤しているうちに、冒頭の母の教えにたどり着いたのでした。

確かに今までは「人を嫌いにならないために感覚を鈍くする」が私の生存戦略でしたが、もうとっくにいい大人になっています。
今の自分に必要なのは「自分の好きなこと、やりたいことを見つけて実行していくこと」なのです。

ということで自分の感覚を取り戻すのにあれこれ試行錯誤中なのでした。

今一番取り組んでいるのは
「嫌いを受け入れる」
「嫌と感じたものには近づかない」
です。

人間の本能的に、スキより嫌いのほうが見つけやすいと聞いたことがあるので「嫌い」を発見していく旅の途中です。
その旅を通じて、自分のスキを見つけていけたらと思います。

ここまでお読みいただいてありがとうございます。

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