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出産育児を躊躇うくらい、やりたいことがある人生に憧れている

仕事が出産か、結婚かキャリアか、子育てか出世か。絶対とは言わないけれど、どちらかといえば岐路に立たされるのは女の方が多いんじゃないだろうか。

女しか産めないんだから、それもそう。ただ最近は男性並みに(という言い方も時代錯誤だろうけれど、あえてこう書く)働く女性も増えた。

もちろん仕事じゃなくてもいい。趣味に邁進する人だっている。美容でも、旅行でも、スポーツでもいいね。夫婦の時間も大切だろう。

たまたまツイッターを見ていたら、あるインフルエンサーさんが妊娠の報告ツイートに添えて、妊娠中の体や心の変化を綴ったnoteを書かれていた。

ざっくり要約すると「妊娠や出産で、趣味や仕事が制限されるのが怖かった」という話。

なんかこういう話を聞くと、実に、実に羨ましい。不躾なのは百も承知だ。えらいすんません。

私が出産したのは(ギリギリ誕生日2日前の)34歳。

おしゃれを仕事にしたくてスタイリストの仕事を始めた。スタートアップで働いていたら会社が潰れてフリーランスになった。離婚して、西東京の片田舎で一人暮らしを始めた。夫に出会い、コロナ禍を経て入籍した。

海外旅行にも行ったし、好きなことを仕事してがむしゃらに働いたし、恋愛も、人並みに経験できたと思う。秀でたところはないけれど、総じて「それなりに」一通りやってきたと思う。

30代半ばになり、残った趣味は読書と美術館巡り、たまにカフェに行くことくらい。多分このラインナップはあと40年くらい続けられるだろう。老いたりに片足突っ込んでる気分だ。

さて、もうこうなると、私の人生はルーティンタイムに差し掛かったようなもの。良く言えば穏やか、悪く言えば面白みがない。

そんな我が人生に彗星の如く現れたるが、息子なのだ。

息子が生まれてからの人生は、毎日が大冒険で、毎日が成長で、毎日がかけがえのない思い出の1ページになる。3日に一度くらいは「あぁ…こりゃ死ぬ時に走馬灯で流れそうだわ…。」と感じている。それくらい毎日が濃い。

ひとりではカップラーメンしか食べなかったのに、息子がいるというだけで栄養を考慮しながら慣れない手料理を作っている。

「やりたいこと」より「やるべきこと」を与えられているくらいが丁度いいのだ。天性の下僕体質といったもんでしょうかね。

おそらく、息子の成長につれて私の人生における息子の存在感=濃度は下がっていくだろう。というか下げなきゃいかん。子は自分で育つべきだし、親が子を自分の作品のように扱うのは支配でしかない。

つまり私は、来たるべきその日に備えて息子以外の"何か"を見つけなきゃならんのだ。ちなみに、つい最近6年続けたスタイリスト業を一区切りつけたので、新しく熱中できる仕事を見つけるという宿題もある。やれやれ…。

執行猶予は後10年くらいだろうか。夫は高校から海外留学していたり、私の地元には全寮制の中高一貫男子校があったりと、大学進学よりも前に”その時”は来るかもしれない。(教育面だけでなく、反抗期に頻繁に顔を合わせなくていいというのも全寮制のメリットらしい)。

産んでも、産まなくても、産めなくても、働いても、働けなくても、働かなくても。

どの道を、どの自分を選んでも、私のことだからきっと何かを引け目に感じ、コンプレックスを拗らせ、選べなかったものを羨ましく思うのかもしれない。

昔は「選んだこの道を正解にするために、頑張るんだ!」と息巻いていたものだけれど、価値観や情勢が目まぐるしく変化するこの時代に、いつ、何をもって判断するんだろう。生まれてきたこと自体を悔やむ日が来るかもしれないのに?

息子が手を離れた時、私は何を後悔するんだろう。もっと一緒にいればよかった、なんて思ったりするんだろうか。空の巣症候群なんていうのもあるらしい。案外私のことだから、そういう典型的な型にはまりやすい気もする。

せっかくの三連休なのに、まだ見ぬ10年後に思いを馳せて、センチメンタルに浸っている。実はインフルエンザに罹患してしまったのでどこにも行けないのだ。

暇になった途端、どうでもいいことを考えているのだけど、実はこういう「急ぎじゃないけどそのうちやらなきゃいけないこと」が一番重要だったりするんだよね。

それでは、また🎀

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