ハマスーイスラエル戦争の根っこはどこにある。
イスラエル、パレスチナ戦争の根っこはどこにあるのだろうか。
それは、「差別」なのだと思う。
日本人には分かりにくい、今のハマスとイスラエスの戦争(そう呼べるレベルの紛争)。なぜ、この事態になったのかは、歴史を振り返らないと、その原因は理解はできない。
そこで、この問題の歴史を振り返ってみようと思い、ブログを書き始めた。(この記事を書いている時点は①のみをアップしている)
調べ、そして、書き始めて感じることは、この問題の根っこには2000年以上に渡る差別の歴史があることを痛感する。
ユダヤ人に対する歴史的な差別の歴史、イスラエルからパレスチナへの差別。その根っこは今に始まったことではなく、その長い歴史がある。
ハマスのイスラエルへの奇襲、イスラエルのガザへの報復。どちらも許されることではない。私たちは、今、その事実を目の当たりにし、飛び込んでくる情報を元に、様々な判断をし、「良い、悪い」「どちらが悪い」「どちらにつく」などの話をしている。
しかし、ここに至る歴史を振り返ると、どちらも「怨み」があり、どちらにも「言い分」があるのは、致し方がないと思う。
ロシアのプーチン大統領が「パレスチナ人が暮らせる国を建設することが解決策」という旨の発言をしているが、それは正論であると感じる。
元はアラブ系のパレスチナ人の土地にユダヤ人がイスラエルを建国したことからこの問題が始まったのか。
いや、それならば、ユダヤ人はローマに滅ぼされて流浪の民になる前は、そこに住んでいたのだから、ユダヤ人こそが、その先住民だとも言える。
しかし、ユダヤ人はローマに滅ぼされており、パレスチナ人が追い出したわけではない。だから、ユダヤ人が元々の住民だと主張したとしても、今のパレスチナの人々が奪い取ったわけではないのだ。
ユダヤ人は長い間、差別され、迫害されてきた。そこには筆舌に尽くしがたい苦難があった。そして、生きるために、ユダヤ人も金融を生業とし、その力を使って、対抗してきた。結果として、ユダヤ人を恐れ、陰謀論も渦巻くようにもなった。
イスラエル建国にはユダヤ人の悲願があっただろうが、欧米の思惑も絡みあっている。
なぜ、イスラエルを巡る中東問題が存在するのか。その始まりは「差別」にあり、それが連鎖し、継承され、その怨みが蓄積され続けてきた結果ではないだろうか。
それは、イスラエスにも、パレスチナにも共にある。
根本の問題は、人が人を差別することにあるのだと思う。
そして、思う。ここに至った歴史を、経緯を知らないことは罪なことである、と。
目の前の現象だけを見て、感情を揺り動かされて、それで直情的な判断をして行動することは、何の解決にもならない。
人が亡くなることは悲しいし、許せない。しかし、その原因が人が人を差別することにあるとしたら、私は歴史を知ることが大切であるように思う。差別された側に(今回はお互いだが)想いを馳せることができなければ、問題は解決へは進まない。
以前に、「互譲の精神」について書いた。
この互譲の精神は、今の問題の根本的な解決の精神かもしれない。もしかしたら、日本人はこの精神をもって世界に貢献できるのかもしれない。
そのような簡単な問題ではないという声は聞こえてくるだろう。しかし、最終的にはここに行きつかなければ問題の解決はないのではないだろうか。
プーチン大統領が言う「パレスチナ建国」は、互譲の精神の元、譲り合い、お互いが共存する道を探ること。実は最も現実的、かつ根本的な解決であろう。
その根っこは「差別」を終わりにし、互譲の精神で生きること。
そう感じる。
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