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ぼくらが被災するその日までに、防災で君を振り向かせたい

「趣味は防災」

そう思うようになってしばらく経つが、もともとぼくは防災になんて興味のカケラもなかった。

そんなぼくが防災に興味をもったキッカケは3.11。東日本大震災にある。

見たこともない津波。原発事故による放射能汚染。いつまでも続く余震。不気味な音を鳴らす携帯電話。

街からは人が消え、都心の道路も車はまばら。広告のない電車・・・

テレビからは笑いが消え、CMはすべてAC。

毎日のように見た「ぽぽぽぽーん」のCMは、懐かしさと同時に、今でもあの時の不安な気持ちや、何もできないくやしさを思い出させてくれる。

みなさんも、良ければ久しぶりにご覧になってください。

そんな震災を通して、なぜぼくが防災に興味をもったのか?そのキッカケは花火だった。

鎮魂と復興の花火「LIGHT UP NIPPON」

暗く沈んだ毎日の中、ぼくの友人が「仲間と東北で花火を上げるんだ」と言い出した。

話を聞くと、自粛のため東京湾の花火大会が中止になり、大量の花火が余っていること。そして花火には鎮魂の意味があること。それが話の発端だそうだ。花火を東北で打ち上げて、少しでも東北に笑顔を届けるんだ、と話す友人をすげーと思った。できることで協力しよう!そう思った。

その活動がLIGHT UP NIPPON

スローガンは
「東北を、日本を、花火で、元気に」

心意気に痺れた。

花火は、8月11日に東北10か所で同時に上がった。ぼくはそれを仙台で見ていた。いや、見ていたというより、手を合わせ、目を閉じて祈っていた。

花火を見ずに目を閉じて祈ったのはあの時が初めてだった。

花火は被災をした人が上を向くために見たら良い。ぼくのような被災もしてない人間は鎮魂の祈りを捧げることしかできない。そんな後ろめたさがあったのだと思う。

花火が終わり、真っ暗な会場に突然

「イエーイ 君を好きでよかった」

トータス松本さんのライブがサプライズで始まった。この瞬間「バンザイ~好きでよかった~」はぼくにとって特別な1曲になった。今でもこの時のことを回想すると涙がでてくる。

会場で花火を見ていた多くの人の笑顔がみれて、久しぶりにぼくの世界にも色が戻ってきた。そんな気がした。

ようやく周りが見えるようになってくると、多くの人たちが東北のためにと、さまざまな活動を行っていた。全く知らない人のために、みんなスゴいなぁと感心する反面、ふと、ある疑問が浮かんできた。

「次に被災をするのは、今ボランティアしている人たちなんじゃないか?」と。

地震は東北が最後じゃなくて、これからも日本のいたるところで起こるはず。今、東北にボランティアにきている人は、自分が被災したときの備えをしているのか、急に不安を感じたのだ。

ぼくもそうだが、自分が被災するなんて実感をもって生きている人なんてそうはいない。それはきっと、3.11が来るまで東北の人も同じだったはずだ。

震災はこれからも続く。それなのに、未来の災害に対して活動している人はぼくの周りにはいなかった。それに気がついて我に返った。

気が付いちゃった「保険に入ったから安心」の違和感

ぼくの本業は損害保険の代理店。いわゆる保険屋だ。地震保険も取り扱っているから、まさに今が役に立てるときだった。

とはいえ、地震保険の請求なんて人生で初めて。保険会社がどれくらい支払ってくれるのか?半信半疑で手続きを進めていくと、ぼくが思っている以上に補償されることがわかった。

結局、最初にあげた申請はすべて認められ、無事に保険金をお支払いすることができた。

保険屋のぼくですら地震保険がどのように支払われるかを知らなかったのだから、お客様は知る由もない。そこで、調査は無料だからと片っ端からお客様に連絡し、地震保険の請求をおすすめしてまわった。

思ってもいない保険金を受け取ることになったお客様からは、感謝の言葉をいただいた。ぼくは決まって「良かったですね」と声をかけた。

そんなことを続けるうちに、ある考えが頭をよぎった。

「もし、東京で大震災がおきたら、再び良かったですね、と言えるだろうか・・・」と。

つまり、良かったですねと言えたのは、大きな損害はないのに保険金が受け取れたからであって、もしも、ご家族のどなたかが亡くなっていたら、とても「良かったですね」なんて言えない。

保険のご契約時に「これで安心ね」とおっしゃる人がいる。だけど、安心できるのは経済的な補償だけ。つまり、保険を有効活用するためには、まずは生き残ってもらわないといけないのだ。

それを初めてはっきりと認識したのも、震災だった。保険はあくまでも経済的な補償でしかない。。。当たり前だけど、保険で命は救えないのだ。

保険では守れないモノが震災では失われる。保険で守れないモノをどうすれば守れるか?それを伝えられるのは、保険の無力さにも気がついた保険屋にしかできない。そんな使命感のような感情が芽生え始めた。

これから被災するぼくたちのために

こうして、震災を経験した保険屋のぼくは、防災を学び始めた。これから被災をするであろう未来の自分が、家族が、友人が、お客様が生き延びれるように、防災を学んで発信したい。そう思ったのだ。

それからは、防災士の資格を取り、「未来防災課」というwebメディアで防災について発信し、地元の防災組織に入って積極的に活動した。避難所の運営チームを立ち上げて、今はその協議の真っ最中だ。

そんな時間を過ごしてきたから、ぼく自身の防災知識は増えたし、災害時の必要な行動もかなり理解できている。その影響は妻にも出始め、災害について日常で話すようになっているのは大きな進歩だ。

だけど、まだそこまで。

両親、友人をはじめ助かって欲しい人はたくさんいる。ただ、ひとたび震災が起きてしまえば助けてあげることなんてできない。

自分の命は自分で守らないといけないし、それができたら自分の家族を守るので精一杯。きっと、多くの人がそういった状況になるはずだ。

だからこそ、震災がくる前に、せめて手の届く範囲の人が助かるだけの情報をしっかりと伝えたい。自分の家族を守り切れる人が増えれば、とうぜん犠牲者は減るのだから。

東日本大震災から10年。震災直後から話題になっている首都直下地震や南海トラフ地震はまだ起きていない。

ただ、その日はいずれ来るのだ。全く望んでいないけど。

だからぼくは、未来で被災するぼくらのために、これからも防災を発信し続ける。そして、いつか君が防災に興味をもってくれたなら、最高に幸せなのだ。

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