私が救われた「バウンダリー」という概念 摂食障害克服中 自他の境界とあこがれの人

前回の投稿からすっかり時間が空いてしまいました。
仕事に復帰したり、引っ越したり、目の前で起こるさまざまなことに対処していたらあっという間に時間がたってしまいました。
忙しい日々を送っていたら、摂食障害のこと、体形のこと、コミュニケーションについて、書きたいことがまたむくむくと沸いてきました。
今日は、私を救ってくれた概念の一つ「バウンダリー(境界)」について書いていきたいと思います。

■バウンダリーとは

「バウンダリー」という言葉、みなさん聞いたことはありますか。境界、限界、限度などと訳され、自分と他者とを区別する境界線のことです。私はこの言葉に出会ったことで少し生きやすくなりました。バウンダリーがうまく引けていない、つまり自他の区別が曖昧だと、他人が自分に対して取る行動を必要以上に重く受け止めてしまうそうです。そういう人付き合いってとても疲れますよね。

■自他の境界が曖昧だったころの私

以前、自分の体形や見た目に自信がなく、それに伴って最も摂食障害の症状が重かったとき、私のバウンダリー、自他の境界線はとても曖昧でした。「少し太った?」など何気なく言われた一言に(まず人の見た目にとやかく言う文化がおかしい!!)とても悲しくなってしまって、「やっぱり私は太っているんだ。太っている私に価値はない…」とどん底まで落ち込んでしまっていました。毎日、何をしていても、相手から言われた言葉と相手の顔が浮かんでくる。「私の頭から出て行って!」と叫びたくなっていました。

■「バウンダリー」という考え方を知った今

人のちょっとした一言を気にしすぎる自分を自覚したころ、「バウンダリー」という言葉に出会いました。言葉や概念を知ることは大きな一歩ですが、それだけで何もかもうまくいくわけではありません。大事なのは想像力を膨らませ、自分の中に落とし込むことではないでしょうか。

バウンダリーという言葉を知ったころ、私は「少し太った?」と言われたら、心の中で鉄の壁をバーンと降ろすイメージをしました。意識的にバウンダリーを引きました。「あーはいはい、あなたには私が太ったように見えるのね。別にあなたからどう見られても構わないし、私は私の体型をまあまああ気に入ってるし」と心の中ではっきりと唱える。そうすると以前のように必要以上に落ち込むことが減りました。
大事なのは心の中で、鉄の壁をなるべく鮮明にイメージすること。バウンダリー、バウンダリーと心で唱えながら、はっきりと「あなたと私の価値観は違う」と認識するのです。

■私が憧れる人

そんなことを繰り返すうち、体形にとやかく言う人とは価値観が違うとはっきり境界を引けるようになった私。体形に関すること以外のことについても、自他の区別がはっきりしてきました。考え方が自分とは違う人に出会うと「あなたはそういう考え方なのね。なるほど。OK~」と。

そのような考え方になるうち、「もしかして私のコミュニケーションは淡泊すぎる?」とも思うようになりました。ポジティブに言い換えれば、他者のバウンダリーにも敏感になっているのでしょう。この人の境界線はどこだろう?私は踏み越えていないだろうか…?
考えれば考えるほど、「ちょうど良い」のコミュニケーションが難しくなりました。

ただ、私のバウンダリーをとても上手に、不快にさせずに超えてくる人がいるのです。今までの人生で数人出会いました。
私はそんな人に強く惹かれるのです。こんな人になりたいと。

「ちょうど良い」コミュニケーションがとれる人は私の憧れです。
天性でしょうか、何か気を付けていることがあるのでしょうか。まだまだ、その「ちょうど良い」コミュニケーションのコツは分からないのです。憧れの人の観察を続ながら、もう少し「ちょうど良い」コミュニケーションを探る日々を重ねたいと思います。

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