見出し画像

~アスペルガーで依存症の私が自立するために学んだこと~第一話

私は現在、専業主婦43歳です。
家族はSEの旦那さんと幼稚園児の息子と暮らしています。
38Kgから87Kgまで太り、虐待・統合失調症・ベーチェット病・アスペルガーでした。
人と比べたことはありませんが、まぁまぁツライ過去だったと思います。
義実家の近所に住みたい願いや叶えたい目標があるので副業中です。
そんな私がネットワークビジネスから抜け出せず、借金を抱えた経験もあり現在はどうなったかを書き留めようと思います。

そんな私がある法則を見出したことにより、私は体重が20Kgは減り、病気は限りなく症状がなくなり、そして子育てが楽しく劇的な変化を遂げていくこの事実をみなさんに伝えたい。
これがみなさんの幸せに少しでも繋がれば幸いです。

幼いころに起こった悲劇

私は父、母、兄、私、弟の5人家族でした。
私が中学校1年生の時、弟は小学校3年生の4月に脳腫瘍の為、入院をしていて、母は弟の看病で病院で寝泊まりをしていました。

父と兄と私で暮らす日々が続きました。

兄は高校1年生で野球部に所属していました。
1年生なので練習後のグランド整備などの雑用で帰るのが遅い毎日。
私は進学塾へ通っていて、ほぼ毎日22時まで塾で勉強をしていました。

夏休みに入ったある日、兄は高校の野球部の合宿で一日家を空ける日がありました。

画像1

その時に私の悲劇は起きました。

実の父に性的暴行を受けたのです。
初体験の相手が実の父になったのです。

誰にも相談できず、ずっと一人で抱え込み、またそういうことをされるのではないか!?と父に怯える毎日を過ごすことになります。
そんな怯えて過ごす毎日の中、翌年の2月に最愛の弟が死んでしまったのです。

この出来事は私にとても衝撃を与え、私は毎日悲しくてつらく泣いている状態でした。

中学校は楽しかったです。それはたくさんの友達に恵まれ、毎日笑って過ごせる日々が続いたからです。

しかし、これはひと時の幸せに過ぎなかったのです。

それは所属していたソフトテニス部でイジメにあってしまったのです。
そのイジメはだんだんとエスカレートしていきました。

2年生になると私の机には彫刻刀で「死ね!」と彫られていたり、お弁当を食べようとすると中身が砂でいっぱいだったり…
絵に描いたまるでドラマに出てくるような風景が私の身に実際に起こったのです。

私は学校に行くのが苦しくなりました。そして勇気を振り絞って母に相談してみたのです。
そんな私に向かって母は言いました。
「やられたら、3倍に返してくるまで家に帰ってこなくていい!」と…
なんとそんな傷心な私を家から追い出し、私は行き場を失い2週間くらい友達の家を転々と過ごしたのでした。
私は母だけは味方になってくれると信じていました。

1年生の時に父にされたこと勇気を振り絞って伝えました。
すると母は、
「お父さんがそんなことするはずがない、一生帰ってくるな!!」
とまた、私を家から追い出したのです。
私は1ヶ月ほど、当時の彼氏の家にかくまってもらいました。
最後は警察に保護され、仕方なく自宅に戻ったのです。

画像2

夢のホテルウーマンからの転職

ドラマの影響で中学校2年生からなりたかった職業のホテルウーマン。

専門学校を経て20歳でたくさんの入社試験を受けて、晴れて私はホテルウーマンになることができました。
私の頃は就職難の時代でサービス業はほぼ契約社員雇用でした。
月収は15万円くらいで、そこから所得税や財形、生命保険を引いて手取りで9万円くらいでした。
そして、私にとってあんな悲劇があったにもかかわらず、母から毎月3万円徴収されていました。
それでも、私はずっと夢見ていたホテルウーマンになれたので満足でした。
入社してから私はずっとお客様の笑顔が見たくて、一人ひとりのかゆいところに手が届くサービスを心がけていました。

そして入社して3年、アルバイト時代から含めて5年で人事部の部長から正社員の話が出ていると聞いていて、ウキウキしていたのに総支配人が代わって正社員になる話はなかったことになりました。

そこで決心したのです。
「これからはパソコンができないと仕事はやっていけない」
と思い切ってIT企業に転職したのです。
そして、そこの会社のコールセンターに所属しました。
最初はアルバイトで入ったのですが、コツコツ頑張っていた実績が認められ正社員になることができました。
最初は分からないことばかりで、毎日が勉強で必死でした。
でも、徐々に慣れてきて3ヶ月でスーパーバイザーに昇進しました。
とても嬉しかったのを覚えています。

なぜなら生まれて初めて私は人に認められたからです。

そこからが怒涛の毎日が始まりました。
10:00〜18:00はコールセンターに付きっきりになり、その他の仕事が間に合わなかったのです。
そして私は始発で出社し終電で帰る毎日が続きました。
作業時間を短縮させる為に、パソコンスキルを身につけました。
お給料は十二分に頂いていたのですが、それでも生活するには足りず仕事が休みの時はモデルの仕事をしていました。

ホステス時代

そして、25歳で最初の結婚後、無職だった当時の旦那さんがお金欲しさに私にこう言ったのです。
「まいはかわいいからホステスをしたら儲かって、俺のお金が増える」
本当はイヤでしたが言い返すこともできなくて、私は大阪の北新地デビューをしホステスになりました。そして、その時の旦那さんに貢いでいました。
さすがの私も
「それは違うだろう!?」
と気づくことができました。

画像3

しかし、その時の旦那さんと離婚後もお客さんはチヤホヤしてくれるし、ブランド物のバッグなどをプレゼントしてくれるし、お給料も良かったので抜け出すことができなくなりましたが今は後悔していません。
なぜなら今の旦那さんに出会えたからです。

画像4

次のお話

======

私の恋愛観~第二話

~MLM副業体験~第三話

======

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?