振られた

29歳、独身に戻った。
いつも、なぜかうまくいかない。
なぜだろう。

美人(可愛い)といわれてちやほやされてきた人生でもあり、周りから見たら良い家系に生まれて、勉強もスポーツも難なくできて。ちっとも不安がないように見えるのかもしれない。数々のミスコンテストにも出て、世界大会にも日本を代表して出場してきた。

でも、心は空っぽ。
いつも物事や事象へ「why」を探してしまう。
直感で、人やものを好きになるのが、難しい。
だから、求められたら全力で、100以上の成果を出せるように何でも応えてきた。ただ、ただそれだけなのかも。

何がしたいんだろう、
何故この世に生まれてきたんだろう。
世の偉人は何を信念に生きているんだろう。
そんな皆、かっこいい人生なのかな。

「おじいちゃん、いつも守ってくれてありがとねぇ」
敬老の日で昨日、おばあちゃんと一緒にお墓参りした。優しく、お墓に語りかけるちっちゃいおばあちゃんを見て、涙がでた。
お見合い結婚した、私のおじいちゃんは自由な人で、会社経営をして倒産して。
五人の子供を育てあげたおばあちゃんの人生は、天と地を味わったそんな波乱万丈な人生だったことだろうに。

おばあちゃんはいつも、いつも言う。
「おじいちゃん、ありがとう」って。
「働けることに感謝しな」って。
そんな謙虚な人生、ってあるものなのかな。私はひねくれている。
でも心のどこかで、羨ましいって思う。
本当にひねくれているんだなぁ、私って。

初めてこうやって文章を書いてみた。
何か残すことに意味がある、これも「why」から始まった思考ではあるが、でも、でも何か書いていくうちに私の何かが変わるのではないか、とそう思って止まない。

人生、いつ何が起きるかわからない。
もしかしたら、明日死ぬのかもしれない。
満足に生きているのか、と言われたら違う気がする。
満足に生きているように見せるのが、上手なだけな気がする。
いつも、いつも自分の心に偽って生きてきたから。
今の自分は「私」、ではなく、皆の中で生きる「架空の私」なんだと思う。

書き続けることによって、何か新しい発見をしていけたら良いなぁ。
誰かに読んでほしいわけでもなく、誰かに何かを伝えたいわけでもなく、ただ、自分のために。
そんな使い方をしても良いのかなぁ、noteさん。
でも、生きているって何かを残すことだと思う。
今も苦しくて、苦しくて堪らない。

夢は「ノーベル賞」をとること
これも「why」から始まった夢だから変わるかもしれないけど。
大きなことを言いたい、社会のために何かやりたい、
そんな偽りの私が言っている戯言なのかもしれない。

でも、でもきっと私は強く生きる。
この「今」を意味あるものにするんだと思う。
何もかも受け身の自分と決別していくために。

自分が一番大好きで、たまらない性分なのかも。
本当にナルシスト。

自分の思い描いていた29歳とはかけ離れてて。
やっと向き合う時がきた。
多分これを乗り越えた先に違う未来が見えてくるんだと信じて。

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