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生きづらさからは逃れられないのだろうか

よく聞くようになった言葉に、HSPやADHDがある。
HSPは、感覚が鋭く、感受性が豊かな人のこと。繊細さんとも呼ばれている。
ADHDは、注意欠如・多動症を指すらしい。

世の中がちょっと生きづらいと感じているなら、自己診断をしてみてはいかがだろうか。

【HSPセルフチェック】
https://d21.co.jp/news/event/hsp-self-check/
【ADHD診断テスト】
https://select-type.com/e/?id=b3IW5a4fAMw&w_flg=1

自己診断のサイトはたくさんあるものの、特にHSPに関しては、病気ではなく気質であり、医師に診断してもらうものではないようだ。

私自身もHSPの傾向があり、特に匂い・音には敏感だ。感情移入しすぎるからすぐに泣く。せわしないところも苦手だし、叱咤激励に固まってしまう。

そして私は最近、共感性羞恥も当てはまるのではないかと感じている。

共感性羞恥とは
共感性羞恥とは、他人が恥ずかしい思いをしていると、自分も恥ずかしくなってしまう感覚のことをいいます。また、羞恥というと「恥ずかしい」という印象を持ちますが、非難されていたり、笑われたり、怒られていたりしていても、他人が感じているだろう感覚や感情を同じくらい感じてしまいます。
https://coconala.com/blogs/516797/45368)より

保育園や小学校、中学、高校では、同級生が怒られている場面がとても苦手だった。今もだが。先生の怒鳴り声も苦手だし、怒られている側のことも見ていられない。

あと最近で言えば、お笑い芸人のジャルジャルのコントも見ていられなかった。

きっと面白いネタだと思うし、チャット欄でも皆笑っている様子だった。

ジャルジャルさんが悪いわけではなく、ただ私が見ていられないだけ。

「人事役の人も怒っているし、学生役の人も本来は苦しいはずなのに...
あ〜、そんなことしたらまた怒っちゃうよ。ほら。う〜、まだこれ続くんか。長い長い...」みたいな感じ。


共感性羞恥の話はこのくらいにして...


ADHDやHSPがみんなに知れ渡ってきたからこそ、
「あなたはHSPじゃない」とか
「病気になりたがるな」とか
「ストレス社会なんだから、みんなストレスたくさん受けてるよ」とか
そういう言葉を聞く機会も増えた。

私は、自己診断で名前がつくことによって、本人の心の負担が軽くなったり、少しでも生きやすくなったりしていれば、それで十分ではないかと思っている。

それを、「HSPを名乗るな」とか、「病人のふりするな」とか、心ない言葉で封じられてしまったら、ますます生きづらくなってしまう。

その一方で、本当にその自己診断であってる?という人が出てくるのも事実だ。ADHDあるあると称して、自分の怠惰を正当化する人など。

こういう状況が多発して、ADHDやHSPの「インフレ」が起こったとき、真にADHDやHSPの人が困るよなあと考えた。

じゃあ、どうすればいいんだろう、と考えた夜だった。

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