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顆粒だしとめんつゆの虜〜あなたなしでは生きられない〜

料理を覚えたのは、母親の手伝いからだった。

それは、当たり前のことではないかもしれない。手取り足取り教えてもらい、母親と一緒に台所に立てたことは、振り返ってみればありがたいことだったと思う。

もともとお手伝いを頑張る子、とかではまったくなかったけれど、母が料理をしているところを見るのは、幼い頃から好きだった。
じっと見ていると「これやってみる?」と簡単な作業を母が振ってくれ、なんとなく部分的に手伝う…というところから、始まったような気がする。

「味噌汁に味噌を入れたあとは煮立てない」
「お米は水が濁らなくなるまで研ぐ」
「左手を猫の手にして切る」
「じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、肉を炒めてルーを入れたらカレーかシチューになる」
「砂糖、卵、牛乳にパンを浸して焼いたらフレンチトーストになる」

そんなふうにして、何とな〜く、少しずつ覚えていった。
小学校の家庭科でも味噌汁程度は作ったし、子ども会でキャンプに行けばお米ぐらいは研いだし、地元には「鍋っこ遠足」という行事があり、大鍋で子どもたちだけのグループで何らかの鍋を作るという経験もした。(なお、作るのはたいがいカレーである)

私が生まれる前からずっと親は共働きだったので、小学校高学年ともなれば親が帰るまで普通に家で親を待っていた。
その時間を持て余したのか、はたまた、疲れて帰ってからご飯を作る母の姿を見ていて「なにか役に立ちたい」と健気なことを思ったのか定かではないが、そのうちにカレーやシチューを一人で作り、帰宅した親を驚かせ&喜ばせたりした。

母がシリーズで持っていた料理本の中で、とくにお菓子作りの本が気に入って、出てくるレシピを端から作るのにハマった時期もあった。これも小学校高学年ぐらい。

私が10代の頃はまだインターネット黎明期であり、ググればレシピが出てくるような世界ではない。
そして、レシピ本や雑誌が手軽に手に入る環境でもなく、特に見た記憶もない。

しかし、高校生になる頃には普通に家族のご飯を一人で作るまでになっていた。
むろん、母と共同で作ることもあった。
母親と台所に並んで立ち、あうんの呼吸で作業を分担しながら料理をした景色を、今でもはっきりと思い出せる。

……長い前置きはこのへんにして、本題である。

フルタイムで働きながら、毎日家族のご飯を作っていた母であるが、自分では「料理は好きではない」と言っていた。
手際のいい人なのでやればできてしまうし、自分がやらなければご飯は出てこないので仕方なく作っていた、という感じらしい。

さらに父は好き嫌いがめちゃくちゃ多く、食べられるものも限られる。よって、使える食材やメニューも限られる。
ゆえに私が実家を出たあとは、ずいぶんと惣菜や外食に頼るようになったときいた。

また、母の実家は超薄味がデフォルトだったらしく、父の舌と感覚が合わなさすぎて苦労したようだ。結婚から20〜30年も過ぎれば、お互いの舌が歩み寄りを覚え、母にとっては濃いめ、父にとってはやや薄めぐらいの妥協点を見つけたようであるが。

さて、これらを踏まえた上で、母の料理で育ち、母の料理を見て料理を覚えた私である。
そう、私にとっては長いことそれが「当たり前」だったのだが、世間的には「当たり前」ではなかったと、ずいぶんと後になって知ることになるのだ。

例えば、母の煮魚は「塩味ですか?」と聞きたくなるぐらい、煮汁の色が薄かった。
当然、味もべらぼうに薄い。東北なので濃口醤油を使っているはずなのに、薄口醤油で上品に仕上げました的雰囲気が出ている。
まったくご飯が進まないので、子どもの頃は本当に苦手だった。

そんな調子なので、20代前半に熱海旅行で食べた金目鯛の煮付けの衝撃ときたら……。
「これが…これが本物の煮魚だったのか!!」と、水とwaterが結びついたヘレン・ケラーばりに叫んだ(叫んでない)。

そして、結婚した人(元旦那)の煮魚がこれまた、絶品だった。
甘め仕上げのこってり照り照りで、汁だけご飯にかけてかっこみたいウマさ。
これらを知ると、もはやうすうす煮魚には戻れなくなった。
以後、この家では煮魚は必ず私が作ると、勝手に心に決めている。

さらに、母はみりん嫌いだった。風味が苦手らしい。
だから、実家にみりんは存在しなかった。味つけは常に酒と醤油、塩だけで勝負する。
コンソメ、鶏ガラスープ、オイスターソースといった調味料は一切存在せず、ごま油もない。父母とも辛いものが苦手なので、豆板醤や七味もない。時折帰省して台所に立つと、できる料理のバリエーションがなくて途方に暮れたものだった。

だが私がのちのちもっとも衝撃をうけたのは、家にだしがなかったことだ。

私が10代の頃でも、さすがにほんだし的なものは市販されていた。
しかし、我が家の味噌汁は初期は煮干し、後期は鰹節で作られていた。
いわく、母は「ほんだしの味が嫌い」だったらしい。というか、化学調味料的なもの全般を苦手視していた。(まあ、昔の人にそういう部分があるのはわからなくもない。昔はジャンクフードとかなかったろうし……)

煮干しはまだわかる。ちゃんと一晩水から浸けていたので、それなりに味は出ていた…かもしれない(使っていたのは小学生ぐらいまでなので、記憶に自信はない)

しかし、鰹節。こいつは、相当な量をぶち込まないと、だしが出ない。
「鰹節20g」なんてレシピに書いてあったら、一度計ってみてほしい。ふわっふわで9割空気で構成されているあいつらは、1gですら驚くほどの量を必要とする。マジだ。
つまり、鰹節でだしをとるのは、家庭では現実的ではない。鰹節のだしで毎日おいしい味噌汁を飲もうと思ったら、鰹節代で家計が火の車になる。

我が家で「だし」として用いられていた鰹節は、ほんのひとつまみほどの量だった。だしのだの字も出るわけがない。
しかし、ずっとそれを見て育った私は、そういうものだと信じて疑うことすらなかった。恐ろしい。

つまり私は子どもの頃、ほぼだし無しの味噌汁をずっと飲んでいたということだ。マジだ。
もちろん、化学調味料的な味を嫌う母なので、実家でだし入りの味噌を買ったこともない。
こんな私がその後10年近くも料理の仕事をしていたなんて、我ながらびっくりだ。

しかも、思い出してほしい。母はデフォルトが薄味なのである。
もはや味噌風味の白湯(さゆ)を飲んでいたと言ったほうが近い。
私は未だに味噌汁は汁よりも具のほうが好きなのだが、そのせいかもしれない。

もちろん、実家にはめんつゆもなかった。
繰り返すが、料理の味つけはすべて酒と醤油、塩だけで勝負である。
なお、母は料理に砂糖を使うことを異様に嫌ったため、基本甘みもなかった。甘い卵焼きなんて、ドラマと寿司屋でしか出会ったことがなかった。
こんな家で育った私がその後10年近くも料理の仕事をしていたなんて、我ながらびっくりだ。(2回目)


そして30代も後半になった私は。
母の料理を経て、料理人を経て、毎日主婦している私がたどり着いたのは。
顆粒だし様とめんつゆ様である。

20代の都会生活や、濃い味家系の元旦那家生活で、ジャンクフードにあらゆる外食にこってり照り照り煮魚やすきやきの味を知り、顆粒だしとめんつゆの便利さを知ってしまった。
もはや、うまみなしの味には戻れない。もうあなたなしでは生きられない。

味噌汁は顆粒だしで一発だ。顆粒だしは昆布、鰹節、煮干しと一通りあり、料理によって変える。
味噌汁には「うまみ」が出る食材を必ず一品は入れる。きのこ類、豆類、トマト、貝類、海藻などである。うまみはかけ合わせると相乗効果でさらに増すので、あさりとえのきの味噌汁などは私の大好物だ。
ちなみに、味噌汁にちょこっとだけ白だしを入れるとさらにヤバい。うまみのスクランブル交差点だ。(うまいこと言おうとした、うまみだけに)

むろん、コンソメ、鶏ガラスープも多用するし、韓国料理にはダシダ(という名前の顆粒だし)が最高だ。昔は通販でわざわざ買っていたが、最近では我が家の近くのような辺境のスーパーにも置くようになって嬉しい。

めんつゆは3種類揃えている。ちょっと高級なやつ(ここぞというときに使用)、甘めのを大きめボトルでひとつ(無難な味で安い。麺類や汁物に使用)、だし風味強めのをひとつ(料理の風味増しにちろっと入れたり、炒めものに使ったり)。
なお、別枠で白だしとだししょうゆ様もしっかり鎮座している。

だしの風味もさることながら、めんつゆ様は一発で味が決まるのが便利すぎる。レシピを見て、醤油大さじ1、酒小さじ1…なんてやらなくていいのだ。つーか、忙しい主婦はそんなことやってられない。おいしくて便利なら、そのほうがいいに決まっている。

この20〜30年で、日本の食生活はずいぶんと様変わりした。外食、中食(惣菜など)、ファストフードがめちゃくちゃ身近になった。食材も調味料もレシピも、身のまわりに溢れるようになった。

今や、母も顆粒だしやめんつゆを普通に使っている。母にとっては濃いはずの私の料理を、毎日おいしいおいしいと食べている。

昔の母も、昔の私と同じように「それしか知らない」だけだったのかもしれない。薄味の、だしが存在しない家で育ち、それが当たり前だったのだろう。

都会へ出たばかりの頃の私は、外食で定食についてくる味噌汁が、ほんだし味がして苦手だった。インスタント味噌汁も嫌いだった。
でも今はどっちもおいしく飲める。「これはこういうもん」と思う。

化学調味料まみれの外食や惣菜に舌が慣れ、より強いうまみや濃い味を欲するようになるのは、ごく自然な流れではないだろうか。(そこで逆にオーガニックやら、ベジタリアンやらへいくこともあるんだろうけど)

母、父、私、元旦那、ここだけとっても全員の好みがばらばらであるように、家庭には家庭ごとの味が存在する。

料理好きな私としては、現在3歳の娘もぜひ料理好きになってほしいが、私の味で育つ娘はやはり、私の味を受け継ぐのだろう。

顆粒だしとめんつゆを、当たり前に活用するこの家で。

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