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自分のために全部やっていたはずなのに

父のガンが発覚してがんセンターに通うようになったのは3年前の7月。フジロックを翌週に予定していた木曜日だったからよく覚えている。

そこから東京と実家を1時間半かけて往復する日々が始まった。
頻度は決まってなかったけど1週間実家に帰らないと「久しぶり」と言われる頻度で帰っていたし、父の病院の日には実家から1時間かけてがんセンターへ送り迎えした。

私は父の要望にはできる限り従った。病院の帰りにおいしいそばが食べたいと言われたらすぐに調べたし、「イヤホンがほしい」「ふわふわのクッションがほしい」などという細々した買い物の要望にも「わかりました」とすぐに買いに行った。半分くらいは使ってなかったっぽいけど、それでもよかった。

私は自分のために父に尽くしていた。
周りからは「よくやってる」と言ってもらえていたけど、私は優しさではなくて自分のためにしていた。だから、父が去年亡くなったときにも「葬儀屋の手配しなきゃ」と涙も流さずにすぐに電話をかけるために病室を出た。
母は泣いていたし駆け付けた家族も泣いていたけど私はそれを客観的に傍観していた。
自分の感情が分からずに、なんだか予定をこなしているような気分にもなっていた。実際に葬儀が終わるまで私は涙の1滴も流さなかった。
泣いたのは1回。友達の家で酒を飲んでいるときらしい。
覚えてないけど、突然泣き始めたらしい。何も話さずにただただ泣いていたらしい。情緒が完全に不安定だったと思う。私はそういう泣き方をするキャラじゃないはずなので友達はさぞ怖かったと思う。

父が亡くなってからもいろいろな手続きや名義変更に追われた。父はたくさんのカードを持っていたしいろいろなものを定期購入していたので解約手続きや謎の支払い調査も大変だった。
49日が終わっても全然心休まらず私はもともと太ってるほうじゃないのに気が付けば6キロもやせていた。

そしてそれからほどなくして新型コロナに感染。
その付近に誰にも会ってないことだけが救いだった。


免疫力の無い父にコロナをうつしてはならぬと、友人からも「神経質」だと言われるくらい気を付けていたし、本当に気を付けているであろう信頼できる友達以外にはコロナ禍になってから1年半徹底して会っていなかったのでみんなが「どうして!」と驚いた。

私が一番「どうして!」って感じだったんだけど、今思うとガリガリだったし疲れてたし、免疫力が全然なかったんだと思う。
私は軽症の部類に入ると思うけど、それでも本当につらかった。後遺症の倦怠感で何もできなかったし自律神経も乱れてた。髪の毛も抜けた。
そしてさらに2キロやせた。

秋ぐらいから体調と自律神経が復活してご飯がだいぶ食べられるようになった。めきめきと太り、自分でも顔に覇気が戻ったと感じるほど元気になった。

去年の年末久しぶりの友達に会って、2021年のトピックスとして「父が亡くなって、私はコロナになってそれにたくさん時間をとられた1年だった」とスーパーダイジェスト版で話したら、友達が私の顔をまっすぐ見て

「大変な1年だったんだね。おつかれさま」

と言った。
何かわからないけど、突然目の奥がぎゅっとして鼻の奥がツンとした。
(あれ?なんか泣きそう)
そう思ったけど、平然とした顔で持ちこたえた。

私は2021年、大変な1年だったんだ。全然気が付かなかった。
でも、誰かにそう言ってもらって私はなんか、救われた気がした。
我慢していたわけじゃないと思う。だって全部自分のためにやっていたことのはずなのに。でも、なんだろう。なんか心の中にあったものが、その一言で軽くなった気がした。

年が明けるって不思議。別に何も変わるわけじゃないのに「新しい気持ちで」なんて。
でも、年が明けてよかった。
去年は大変な年だったかもしれないけど、去年は終わった。

今年はとてもいい年になるに違いない。

#我慢に代わる私の選択肢

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