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自由に縛られていた20代と自由を手放した30代、そして今

「自由でいいね」
10代からよく人に言われてきた。
うちは門限が厳しく自分では決して自由だとは思ってなかったけど、そう言われていくうちに私はいつしか「自由」な自分をどこかで演じるようになっていたのかもしれない。

20代、社会人になり私は物事を自由に選べるようになった。と同時に責任もやってきた。
当時私は「自由でいいね」と言われることについて考えることが増えていて、一度それを地元の先輩と飲んでいるときに言ってみたら
「自由に縛られてると不自由じゃん? 自由に生きるってそんなに自由じゃないんだよ、たぶん」
と言われた。
20代前半の私にはその言葉がささり「自由に縛られている」と自分のことを分析した。(ダサい)
自由に縛られて生きることは悪いことではないかもしれないけど、きっと当時の私には荷が重く、身の丈に合ってなかったんだと思う。

髪の毛の色を好きにしたいとか朝寝坊したいとか、そういうはき違えた自由も求めていた。

20代、何度か転職をしていたものの私は会社をいつ辞めてもいいように定期を買わないと言う謎のルールを守り続けていた。
自由に縛られたくないくせに、自由でいたいと心のどこかで思っていた。

30代、ある時会社員でいることをまじめにやろうと決めて実行した。
会社のルールに沿ってそれから外れずに、まじめな一社員として文句も言わずに働いた。
部長は私の代わりぶりを喜んでくれたし、自由ではなかったかもしれないけど、私の人生ですごく楽だった期間だと記憶している。悪い意味ではなく組織になじむことに拒絶意識があった頃よりも生きやすかった。

でも、そんなまじめな会社員は長くは続かなかった。
昇進の話が来たその年、私は突然会社を辞めた。

本当の意味で自由になり、私はどこにも属さない人になった。
朝何時まで寝ていても誰にも文句を言われないし、私が休みと決めたら休みの日になる。どこにいてもどんな格好をしていてもWi-Fiさえあれば仕事はできる。

でも、会社員の頃とは違って決まったお給料がなくなった分、仕事に対してもっとまじめに向き合わなければならなくなった。
自由に仕事をするためには、そのための仕事がないと成り立たない。

黙って寝てても仕事が入ってくるなんてことはない。
だから次につながる仕事を心がけて自分で新しいことを考えるようになった。この仕事をしている私を選んでもらえるように、私も仕事を選べるように。

今、私はとても自由な気がしているけど、その自由には縛られてない。
自由でなくてもいいと思ってるけど、結果自由にしているって感じなのかも。

結果的にこの仕事をしている。とでもいえばいいのかな。
私がこの仕事を選んだのは必然だったと思いたい。
だって、今が一番楽しく仕事が出来ているし、未来への希望もあるから。

#この仕事を選んだわけ

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