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毒母と娘の30年戦争3

通信教育で学びながら1年が経った頃、私は正社員として就職した。
 
医療系の職場。
毒母は「金をかけた甲斐があった」と言った。
 
とにかく毒母は金に汚かった。
 
アルバイト時代から毎月4万円を請求してきた。
 
支払わないとうるさいので少ない手取りからやり繰りして渡していた。
 
家を出ることも考えたが、お金の面よりも毒母が
「結婚するまで家から出さない」
と言ってきた。
 
それは門限にも影響して社会人になったのに門限は22時。
 
父親は「社会人になったんだから門限はやめろ」と言ってくれたが、毒母が「うちにはうちの決まりがある」と引き下がらなかった。
 
唯一、ディズニーランドに行ったときだけ「24時を過ぎなければ許す」という謎の決まりがあった。
 
 
社会人になって交友関係が広がった私は旅行に誘われることが多々あった。
 
ここでまた毒母の壁が立ちはだかり「外泊禁止」の指令が出た。
 
社会人になって自分で稼いだお金で色々な場所に行くことは大切な経験になるのに毒母はそれを許さなかった。
 

ある頃から私はスノーボードにハマっていた。
もちろん日帰りで行っていた。
当然22時に帰宅した。
 
「もっと雪質の良いところに行きたい」と思った。
でもそれは遠い場所。日帰りでは時間が足りない。
 
そして私は知恵を絞った。
もちろん「毒母に言い負かれずに時間をたくさん作るには…」だ。
 
「夜中の24時1分に家を出る!」
 
これしかない!
 
これを決行したところ…すごい剣幕で睨まれたが、何も言ってこなかった!
 
私は「24時1分の女」になった!
何かにつけて24時過ぎに出かける。
 
22時に帰宅して、お風呂に入ってまた24時1分に出かける…。
 
怪しいとしか言いようがない行動だが、そうしないことには若い私には自由時間が少な過ぎた。
 
 
私にはいつしか「向上心」というものが育ち、スキルアップすることが楽しく、転職を繰り返した。
医療だけではなく色々な職種に就いた。
 
それを毒母はよく思っていなかった。
 

そんな生活をしながらも大学は5年で卒業した。
 
最後の一年はたったの「2単位」のために伸びてしまったが、ここまできたら卒業しないのはもったいないとやり切った。
 
それからしばらくして、私は大学病院に就職した。
 
これには毒母は
「これこそ金をかけた甲斐があるってものよね!」
と喜んだ。
 
毒母は見栄っ張りが酷すぎた。
 
楽器の先生にならなかったものの、その世界では少し有名な存在になったし、世間から「あの家の子、バカね」と言われるような学校には行っていないし、専門学校から四年制大学に進み卒業、紆余曲折しながらも大学病院に就職…。
 
全ては私の努力で勝ち取ったものなのに、それを周囲に自慢する毒母は
「他人のふんどしで相撲を取る」
バカな女だと思った。
 
「私の教育がよかったの!だからあなたもこうしなさい!」
と子育てママたちにアドバイスする姿を見てヘドが出るほどバカだと思った。
 
毒母のようなことしたら子どもがかわいそうですよ!
何でも自分の思うようにしよう、思うようにした…
その結果「自分では何も決められない子」になる。
私もそんな時期があった。
その時期は私にとってとても辛い時期だった。
「自分はダメな子」だと何度も落ち込んだ。
 
そんな子どもの気持ちなんて知る由もない毒母はおめでたい女だ。
 
 
 

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