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毒母と娘の30年戦争2

小学校に上がるとますます口出しが酷くなった。
 
「勉強しなさい」
「うちは浪人することを許さない」
「楽器の練習をしなさい」
「友達は選びなさい」
「○○ちゃんと遊んじゃダメ」
「門限は5時」
 
挙げだしたらキリがない。
 
中学生になるとこれに加えて
「楽器の練習が疎かになるから部活はダメ」
と無茶苦茶なことを言われた。
 
現在の私が「人間関係、上下関係の作り方」が苦手なのは学生時代に部活をやっていなかったせいだと思っている。
 
「高校はここに行きなさい」
1年生の頃から決められていた。
そこはちょっとレベルの高い公立高校。
小学校の頃から「勉強しなさい」とうるさく言われていたが、あまりやっていなかった。
勉強が嫌い、苦手ではないが、毒母の言うことを聞くのが嫌だった。
 
部活をやらせてもらえなかったので帰宅部な私。
だからあまり友達もできなかった。
ひたすら家と学校の往復、楽器の練習、レッスンに行く…。
中学3年生になると週5日、学習塾に通った。
学習塾とレッスンが重なる日もあって、うんざりする日々を送っていた。
 
毒母の小言に疲れとストレスが溜まりイライラする日が多くなった。
 
結局そんな3年間を送り、毒母が希望する高校へ進学した。
 

でもその陰で、私は「死にたい」「いなくなりたい」と何度も刃物を手にしていたことを毒母や父親は知らない。

 
高校生になるとすぐに私は部活に入った。そして彼氏ができた。
毒母は烈火のごとく怒りまくった。
 
なぜならその頃「楽器の先生にさせる」野望を毒母が持っていたからだ。
 
でもその頃になると私の性格が変わってきた。
毒母に反抗することがほぼ毎日あった。
 
毒母はいつも高い壁のように私の前に立ちはだかり、私のやりたいことの邪魔をしてきた。
 
付き合う彼氏も「あの子にしなさい」と口を挟んでくる。
もちろん進路のこともだ。 
 
毒母は「四年制大学」に行くか、「楽器の先生を数多く輩出している有名専門学校」に行くか迫られた。
 
幼少の頃から「浪人はダメ」と言われ続けていたが、私はまるで大学に行く気はなかった。
もちろん音楽の専門学校へ行く気もなかった。
 
私は医療系の専門学校への進学を希望した。
 
もちろん毒母は認めない。
 
 
戦いが毎日続く中、私は突然、楽器を辞めた。
幼稚園生から高校生まで続けてきたが、どうにもこうにも嫌になりスッパリと辞めてきた。
 
当然また烈火のごとく…まるで閻魔様が現世に来たかのように怒り狂う毒母。
 
「あれだけ金かけたのに!」
「いくらあんたにかかったと思っているの!」
「どれだけ苦労したと思っているの!」
「何事も続かないダメ人間」
 
ダメ人間で結構です!
と私は思っていた。
 
「それよりも親の言いなりになって自分を持たないことの方がダメじゃね?」
と言った。
面と向かって言った。
 
「いつからあんたは親にそんな口の利き方するようになったの!」
 
ずっと思っていたことを言っただけです。
私にはやりたいことがある。
ただそれだけのこと。
 

怒りが収まらない毒母。
仕方ないので一応、大学受験をした。
 
白紙で出した。
 
毒母には言っていない。
 
そして希望の医療系専門学校に入学。
高校の成績が良かったらしく入学金は免除。
 
でも毒母は「当たり前でしょ」と喜ばない。
父親は密かに喜んでくれた。
 
専門学校はあまり苦労もせず卒業を迎えた。
 
しかし…世の中はバブル崩壊後で就職氷河期。
 
無理に就職しなかった。
アルバイトをしていたバイト先がフルタイムで働くことを歓迎してくれた。
 
でもそこでまた毒母の怒りを買う。
 
毒母の希望は「四年制大学に進学し良い会社に正社員で働くこと」。
 
私は譲歩策として「四年制大学の通信教育課程で学びながら働く」という提案をした。
 
しかしここで大学選びにも難色を示された。
 
私は家の近くにある大学(そこそこ有名)に行きたかったが、某宗教団体の猛烈信者である毒母はそこの大学に行かせたかった。
 
高校も決められ、大学まで決められたらたまらないが、毒母の怒りを収めるために仕方なくその大学に行くことにした。
 
学費は比較的安かったので自分で払うことにした。
私は極力「卒業しやすい学部」を選んだ。
「法学部」だった。
これには毒母も満足したようだった。
 

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