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推すとはどういうことなのか考えてみた。

2次元でも3次元でも、推しが自分の人生に存在する人なら一度は考えたことがあると思う。

推すとはそもそも、どういうことなのか。

辞書に書いてある意味ではなく、この自分にとって「推す」とは何なのか。

私も自分なりの「推す」を考えてみたのでしたためようと思いました。

私にとっての推すとは…

「そのキャラや人物の存在を認識し続け、繁栄に繋げる」です。
もっと端的に言うと、
「君と君の好きな人が100年続くように行動する」です。

私は元々超マイナー志向になることが多く、学生時代はマイナージャンルにはまり、更に脇キャラを中心に好きになってしまう。それを周りのオタク仲間に「そんなの好きなの?」と言われるのが恥ずかしくて、隠れて楽しんでいました。人には見せられないけど表現したい!という気持ちから、こっそりノートにイラストを描きまくっていた訳です。
社会人になると、初めて携帯閲覧用のWebページを開設して(ちょうどパケ放題になった時代と重なります)、少しずつ好きなものを外に表現するようになりました。最初は「こんなもの好きなのは私だけかもしれない…」と公開に抵抗がありましたが、「私も好きです!」と反応があり、サイトを始めて良かったと喜びを噛み締めたのを鮮明に覚えています。
自分のサイトで好きなものを表現しているうちに「このキャラたちは私が描いている限り、語っている限り、消えることはない。だからずっと表現していこう」と思いました。

今は誰もが知るメジャージャンルにはまる事も多くなって、自分が表現しなくともこの世から推しが消える心配はない。それどころか毎日誰かがpixiv等でイラストをアップしているので潤沢過ぎるくらいです。3次元の推しに至っては毎日インスタ写真(公式)が上がります。学生の頃の私からすれば信じられない供給っぷりです。100年でも200年でも、下手をすれば歴史資料として残るかも知れません。
それでも私の根本的な部分は変わらず、推しの繁栄を祈って行動しています。いいね!を押すとか、グッズを買うとか、行動は随分パッシブだけど笑

学生時代から好きなマイナーキャラ達も未だに私にとって大切な存在で、またこっそり表現しています。最悪表現しなくとも、認識するだけで確かに存在している。
でも、「推す」には何かしらの行動はしないとね!と常に思っています。

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