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同じコトバを話しているのに、言葉が通じない時

久しぶりにこんな気分を味わった日。

友人H女史との会話でのこと。

確か、あなたと私は同じ「コトバ」を使っているんではなかったでしたっけ?なのに、通じると思った言葉がこんなに通じないのは?そこで感じるこの違和感は何?

コトバは、そもそも気持ちや感情、考えを伝えるサインや約束ごとのひとつであって、すべてではない。

コトバが乗っかっている 発する側のエネルギーや精神状態ってのが、

その言葉を『気持ちよく受け取れるか』とか、『うん、うん』って、

頷きあえるかってところに、大きく影響しているんだと思う。

こういうのは、『はじめに、言葉ありき』を文化の根底にしている

西洋社会でさえ、認めていることで 純粋に言語で伝わるのは、全体の10%に満たない。

波動だとか、気持ちだとか言う前に、言語ということに限って言えば、「言葉」っていうものが伝えられる最大はこんなもの。

つまりは、人間ってのは、顔色とか声調子とか、おまけに相手の姿勢や体の雨後き、はたまた目に見えないレベルの雰囲気とかも含めてその人にいろんな印象を持っている。

ぶっちゃけ、昨日の変な嫌な気持ちの正体は、『居酒屋で気持ちよく乾杯しよう!』ぐらいの気持ちでお茶を飲み始めたら、なんだかいきなり相手が絡み酒をはじめちゃった気分。

たくさんの人の絡み酒にも、愚痴にも、しぼりだすような告白にも、私、長年いろんなところで付き合いましたが、そんな気分でないときもあります。

完全なからみ酒でも、その人に可愛い部分や元気になってほしい気持ちがあるときは、「嘆きの壁」にもなりました。

でもね!!

それは、こちらに敢えて、今は、そうしたい!              そうしてあげたいという気持ちがあるときのみ。

感覚で感じる相手のSOSが「私寂しいの・・・」なのに、言葉の会話レベルでは、攻撃的にあら捜しをしてくる会話にはついていけません。       というか、少なくとも昨日はついていけませんでした。          これって逆に考えると、私が「あらぬ人のネガティブな攻撃(エネルギー泥棒ともいう)から、自分を守れるようになった!」という進歩でもある。

なので、ちょっと失礼かな・・・と思いながらも、相手も失礼だったので、心の中で「雨戸を閉めて」会話を打ち切りました。


閑話休題


ところが・・・・家に帰って落ち着いて、気づいたことは、相手の中に昔の自分をみて、今見たくないー!って気分だったって事。

私も、散々同じような、グダ巻きと、正義を振りかざしたような口調の攻撃、やりました。

身近な家族に・・・。オットー君にです。

根っこには、よくわからない、なんだか自分が満足していない・・・って感覚。不満を相手にぶっつけて、自分の中味を見ないで済ませるみたいな感覚。

今になって、無様な自分の気持ちの裏側も見えてしまった気分。      おまけに、なんともやりきれない相手の気持ち。             そして、ぴしゃりとシャッターを閉めたくなる気持ちも・・・。      今更ながらだけど、オットー君、しみじみ嫌だっただろうなー。

そんなことに気づいてしまったので、傍らにいた息子にちょっと素直に直近のことを謝ってみました。

『昨日、お母さんが、カンカンになって起こってんのに、あんた笑ってた時の気分は、きっとこんな気分だったんだろうねー』

息子は、ニヤニヤ笑いながら、言いました。『ボクの気持ちもわかったやろー。まあ、よかったんやないん?』


今日の教訓!

言葉を発するときの、原動力になる 自分のエネルギーに要注意!

イライラや漠然とした不安、自分の中の解決できていない問題から来たエネルギーが発端になっているときは、いい結果を生まない! 

自分の気持ちを誰かに違う名目で振り向けて、マイナスの循環関係でエネルギーをもらうのは、もうやめよう。

どうしようもない気持ちを何とかしたいのなら、素直に助けを求めよう。

何かが邪魔してそれができないなら、布団かぶって寝ていたほうがいいぜー。

追伸。                                H女史、あなたのことは、嫌いじゃないから、彼女の台風が過ぎたら、また雨戸開けてのぞいてみよう・・・。





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