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来ては還る 命の話2)逝かないでゴジ

我が家に突然やってきて、嵐のようにいろんな感情を巻き起こし
そして還っていたミーとゴジ。
とりわけ、一緒に居た時間少しだけ長かったゴジが逝く時は強烈だった。
長く封印していた淀んだ感情を一緒に浄化するように
泣けて、泣けてしょうがなかった。

ミーと、ゴジの記憶と
私の中に淀んでいた感情の開放の記録として残しておこう。


哺乳瓶からミルクが飲めるようになって、順調に大きくなる!と
自分の中で少しの安堵と期待が広がった時に、ミーが逝った。
我が家に二匹がやってきて、二週間目のこと。
大きく生活のペースが変わって少し気分転換の欲しかった私は
猫ママとも(?)に預けて週末出かけた時のことだった。

預かってくれた同じく猫好きのママ友は、二匹をドクターの駐在する猫の
シェルターに連れて行き、たっぷりの子猫用ミルク貰ってきてくれて、さらに育てる上の注意を聞いてきてくれたのだ。
ドクター曰く『二匹は猫のインフルエンザにかかっているので、とにかく暖めて!』とのこと。

そのご指導にそってカイロを大きなものに変えたその夜、
体力のなかったミーのほうが先に逝ってしまった。
授乳のために箱を開けて飲ませようと思ったときには、固くなってしまっていたとのことだった。

ともに生まれてきた相棒のミーが
一足先に還ったことを悟ったかのように、ゴジは2日後からミルクが飲めなくなった。

お腹がすくと、『ゴジ、ゴジ、ゴジッ!』と
とどまることなく動き回って、ミルクのありかを探すエネルギー。
母猫の小さな乳首を探し当て、口に入れようとする力強い動き。
捨て猫で拾われてきても、生きるぞ !
とばかり、毎回のミルクの時間に見せてくれていた
『ゴジ』るエネルギーが見られない。

弱った体には、ミルクが濃いすぎるのか?
粉ミルクを少し薄めに作って、一声鳴くと、少しでも飲んでとばかりに
哺乳瓶を加えさせてみる。。。。

がんばって2ml。3ml。
格段に飲めなくなっている。

オシッコの量が減っているのも心配だ。
ウンチも出ていないよ。どうしたのかな?
脱水を起こしていないだろうか?
まだ体温を保てない子猫を育てるために入れている湯たんぽも、温度を少し低め、けれど毎回変えて寒くないようにする。

こんな心配で頭が一杯になっていた翌日、しっかりとした固めのウンチが出ていた。
『おーー!!よくやった!よくやった。おなかがつまっていて苦しかったんだね。少し楽になったね。きっとこれでもっとミルクが飲めるね』と
心底ホッとする。

しかし、ミルクを飲む量が回復しない。

嫌な予感が頭を離れないものの、打つ手がないまま、少し寝るのを見守ることにする。

3時間経っても、『ニャー!お腹がすいた!』のいつもの声が聞こえない。
寝不足と嫌な予感でぐちゃぐちゃな気分ながら、子猫のベットの代わりのダンボールを空けてみる。

すると、更にたくさんの排便の出た様子と、ぐったりしたゴジの姿が・・・・・・。
動転する気持ちのまま、ウンチを拭いて、きれいなタオルに変えて話しかける。

『ゴジ! ゴジ!逝かないで、いかないで!
 お願いだから逝かないで。
 大きくなって元気に遊ぶところを見せて。
 ずっとうちの子供になってよー。ウォーーー! オオッー! 』

自分でも驚くほどの声と涙と、ごちゃ混ぜになった感情が嗚咽と一緒にこみ上げる。
幸いだったのは、隣の部屋の子供がもう既にぐっすり眠っていたこと。
母の狂うような嗚咽と叫びを子供に見せずに済んだことだ。


実は、私の中で、ゴジの小ささが、生まれてこなかった2番目の息子に
オーバーラップしていたことは
自分でも気がづいていた。

夜中に眠い目をこすってミルクを作り、
小さな命が今日一日を生き延びるための、子猫のゴジに
ぎこちない授乳を繰り返すうちに
押し込めた心の奥底の記憶がよみがえっていたことを。

『こんな風に、一度でもあの子にミルクを飲ませてあげたかった。』
『ゴジみたいに元気に、あの子も飲んだだろうか?』
『お腹一杯になった後には、こんな顔をして幸せに眠っただろうか・・・?』
『猫をなでるように、あの子の髪やほほを、なでてたかった・・・・。』

縁があってやってきた命が、また私の前から先に逝こうとしている。
逝かないで・・・!!!

10年前に、待ち望んでいた第二子をさずかるも、流産してしまったとき。
『このまま泣いていては狂ってしまう』と自らの心に鍵をかけた。

不覚にも、10年後にやってきた広い猫のゴジがその蓋を空け、
あの時に飲み込んだつもりの嗚咽と慟哭が抑えようのない声とともに
こみ上げてきて止まらない。

手のひらに乗るほどの小さなゴジの体。
まだ、体温もあって、かすかに息をしているゴジ。
でも明らかに逝こうとしている。

『ゴジー!ゴジー。。逝かないで。お願いだから逝かないで。』
小さなゴジの体に頼み込むように、祈る。

するとしばらくして、もう一度しっかりと目を開けて
しばらく私の顔を見つめていた。
思い起こせば、授乳の時は忙しくて、まともな写真も取っていなかったと
鼻水と涙でぐちゃぐちゃなまま、
写真を撮った。

それが冒頭の写真。彼の一番、お利口な顔だ。
風邪を引いて、目が潤んでいるが、ご愛嬌。

バリ島の屋根裏に生まれて、生後数日で母猫に死に別れ、
すぐに天井裏から落っこちてびしょぬれになった。
子ネコには致命傷だよね。
その後、人間に助けられた。
波乱万丈だったよね。この次生まれる時は、もっと元気なお母さんのお腹に入って、たくさんおっぱいをもらって、幸せに生きるんだよ。

ゴジは、その後夜中に何度もふらふらと起き上がろうとして
体をくるんだタオルから抜け出したが、ミルクはもう飲めなかった。
まだ息もしている。
朦朧とする意識の中で、もしかしたら生んでくれた母猫を探しているんだろうか?それともともに生き延びたミーが迎えに来ていたのだろうか?
そのたびに暖かいタオルにくるんで、手で暖めながら、ゴジの最後の体温を感じながら、一晩一緒に横に寝た。

数時間後の翌朝。

ゴジは、もう息をしていなかった。

10年前のあの日を思い出していた。
お腹の中で静かに成長を止め、私たち家族にメッセージを残して還っていった息子。
『お母さん、お母さん、愛しています。
 生まれてきて
 ウ・レ・シ・イ! ウ・レ・シ・イ! ウ・レ・シ・イ!・・・・・・
 ボクは、男の子ですが、イイデスカ?』

このメッセージを聞いた時、飛び起きるような気持ちで謝った。
『ごめんね。男の子でも、女の子でどちらでもうれしいよ。でも急がないで、ゆっくりとお腹にいて、元気に生まれてきて! 』

そのときに、何でこのメッセージは、『生まれてきて』と完了形になっているんだろうと、心に引っかかりながらこたえたものだ。

その一週間後、お腹の中の子供は成長していないことが分かり、そして流産となり、元来た世界へと還っていった。

あんなメッセージをもらった子供なのに、今何が起きているのか?と狂うような気持ちと、どこか醒めた気持ちと。
そして小さな子供の肉体を包んでいた塊が自然と体から出てきた時に彼は又言った。

『ボクは、もう、そこには居ません。
 今は、大いなるところで休んでいます。』と。

あの時、泣いて、泣いて泣きつくしたと思っていたけれど、現実に還ってくるために、どこか感情に蓋をしてすごしていたのだと今になって分かる。

ゴジ。
君は、きっとそのために来てくれたんだね。
お母さんが、あの時のことを、今もう一度思いっきり泣いてもいいように。
そして、もうその感情を蓋をしてしまっておかなくてもいいように。
重い、もう必要がなくなった感情を味わいつくして、今、手放せるように。

ありがとう。ゴジ。
お陰でいっぱい、味わって、涙と一緒に流せたよ。
寝顔を見る可愛さ。
小さいはかない命が一生懸命お乳を飲む力強さ。
今日一日を生きているかけがえのなさ。
今をともにすごせる、この命の奇跡。
もういちど、ありがとう。ゴジ。

君も、きっと今は、大いなるところで少し休んで、また次の冒険をまっているだろう。又どこかで会おう。

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