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アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話<その6>

皆さま、こんばんは
お元気でいらっしゃいますか?
私はお陰様で今とても元気です。

前回は、アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話<その5>中学時代~高校のお話しました。アトピー、喘息と共に歩んできた私の人生の、今回は<その6>アトピーと喘息がもたらしてくれたもの【自尊心を守ること】をお伝えします。

アトピーと喘息がもたらしてくれたもの【自尊心を守ること】

私の周囲からの良い評価は、
⚫︎ 頑張り屋
⚫︎ キチンとしている
⚫︎ やる事が速い
⚫︎ しっかりしている
⚫︎ 我慢強い
⚫︎ 明るい性格
これ全部かいかぶりです

⚫︎ 頑張り屋は本当か?

いつアトピーや喘息でみんなが普通にやれる事ができなくなるか分からないので、やれる時にやっておく事が自然と身についただけ。さっきまで楽しそうに大笑いしていたのに、その大笑いのお陰で喘息を誘発して発作に繋がるなんてしょっちゅうだった。

事前のできる限りの予防をするしか方策がないので、それをしていただけ。実は面倒くさがり屋でズボラ

⚫︎ キチンとしているのは本当か?

小学校の頃、忘れ物をすると家まで取りに帰らされた。当時たいていのご家庭は専業主婦で忘れ物をすると親が持ってきてくれるのが普通だったが、うちは母が看護士で私はかぎっ子だったから誰も持ってきてくれない。

忘れ物を取りに帰るのに延々と246号線の排気ガスにあふれた道路を通らねばならない。当然途中で喘息が出る。しかも忘れ物を取りに帰るのだから学校に戻らねばならない。私はそれだけでその晩は喘息発作に悩まされる事になる。

だから忘れ物をするというのは私にとっては絶対にやってはいけない事だった。単なる忘れ物では済まされなかった。今は喘息も何もなく、用心する場面もないので忘れ放題忘れてる。

⚫︎ やる事が速い、、、のは本当だけど

かぎっ子だったので、夏休みや冬休みはよく祖父母の家に預けられた。その母方のスーパーおばあちゃんが、私のように病気がちな子が何とか世間でやっていけるようにと色々仕込んでくれた。

何でも手早くできる様にはなったが、とりあえずな感は否めずで、お陰で丁寧な扱いはなかなか出来ず、お茶を習う様になったのはその反動と思う。
その後何をするにも、もっと丁寧にとか、ゆっくりと必ず言われる。我ながらせわしなくてイヤになる。

⚫︎ しっかりしているのは本当か?

かぎっ子の上、2歳下の甘えん坊の弟の世話をするのが小さい時から私のミッションと思っていた。弟がいじめられて帰ってくると、いじめた子の所に行って叱り飛ばしたり、雷を怖がる弟をなだめたりするのに私がしっかりするしかなかった。

体が大きくてそういう意味では余裕があったので、帰りの会でランドセルをうまく背負えない子の手伝いをしたり、次第に先生の補佐役みたいな事も求められて、本当はゆっくりしたいのに周囲の期待もあり、人の世話ばかり焼いていた。

アトピーで嫌がられる事が多かったので、みんなの役に立てるのが嬉しかったのかもしれない。本当は一人でぼぉ〜っとしているのが好き。目立つと期待され、プレッシャーになって何も出来なくなるビビリ。

⚫︎ 我慢強いのは本当か?

これは後にテレビか何かで知ったのだが、脳の働きの話で、人間は極限の苦しみを体験すると、それ以上の苦痛を受け入れられないのでその苦痛から少しでも逃れられるような対策が自動で取られるらしい。

いわゆるモルヒネの様な麻薬物質が出て、苦痛を感じなくさせてしまう。臨死体験で、三途の河の向こう岸で美女が手招きしていた、とか、雪山で遭難した時に雪女が現れたとか、そういう類の物は、脳が極限状態の苦しみから何とか楽になる様に働いている最後の手段が発揮された状況らしい。

私の我慢強いのは、多分そんな感じ。そこまで深刻じゃないけど、それに似た感じだと思う。アトピーの痒みは尋常じゃなく、掻いて掻いて掻きこわして痛みになるとスッと楽になる。

痒みから解放された瞬間に恍惚になる。だが痛みはハッキリとあるのだが、それを感じないくらいに痒みからの解放の気持ちよさの方が強い。

お風呂は地獄だった。

アトピーの子が塩素の湯に浸かるということは、因幡の白兎並みに皮膚にしみて痛いのなんの。お風呂でリラックスなんて経験は私には一生ないと思っていた。ゆっくり湯に浸かるなんて何かの罰としか思えなかった。

そんな状況だから、たいていの痛みはやり過ごせる

一度虫歯になった時に、こんなになるまでよく生きていましたね、普通なら痛みでどうかなっていましたよ、と言われた。私は我慢強いのかもと悦に入っていたが、本当は脳の通常の働きで、ある一定以上の痛みになると感じなくさせてくれていただけなのかも。

⚫︎ 明るい性格

確かに私の両親はどちらかと言うと明るい方かもしれないが、両親とも大変な境遇を克服してきている。私のアトピーや喘息は、うつうつと考え出したら際限なく泥沼に落ちていくだけの理由はたっぷりあった。考え出したらマイナスしか出てこない。

そのマイナスの先は絶望しかないというのはなんとなく感じていたと思う。そうやって良い意味で諦めること、執着しないこと、結局何とかなるだろう、最悪死ぬことはない、みたいなところで落とし所をつけていた。

精一杯対策しても起きることは起きる。努力してもならない物はならない。ただそれを深掘りせず、そんなもんと受け入れるしかなかった。それしか幸せに繋がる道はなかった。

今からしたらほんのわずかな幸せだが、そこだけを見ることでやっと前に進めた。だから自分を客観視してみるクセがついていたのかもしれない

そういうわけで、どれもこれもあまり褒められた理由ではないわけです

でも裏を返せば、どんなに悲惨に見える経験も、自分の強みになるということなのかなぁと思う。自分が思っている自己評価なんて、案外アテにならないな、と思える。

もし自分なんて、と思う事があったら、自分が思う様な評価と違う次元で周りは素晴らしい評価をしてくれるかもしれない。

逆の事もある

喘息が出ると肩や上半身全部で呼吸をしようとする。その時何かに捕まって、あるいは座っている時は両手を膝について上半身の支えにして息をつく。だが立っている時は両手を置くところがない場合仕方なく腰に手を当てて上半身を支えて全身で息をする。

ある時その様子をみたコーチが、「お前偉そうなんだよ」と突然叱責してきた。確かに両手を腰に当てた姿勢は偉そうに見える。だがこちらは喘息の発作と戦う唯一の姿勢なのだ。この時ばかりは、この病気を理解してもらえない事が本当に悔しかった。

他人の叱責や、誤解は自分を下げる理由に当たらない。その時そう思った(もちろん自分が悪かった時は反省しないとね)

私を誤解する人はたくさんいたが、私の自尊心は傷つけられない。自分を下げるとは、自分で自尊心に傷をつける事。今はそう理解できる。

喘息やアトピーは私にたくさんのことを教えてくれた。

世の中の経験で悪いことは一つもないが、唯一やってはいけないことは自分の自尊心を傷つける事だと思う。

それは今まで自分を支えてくれた両親や祖父母、兄弟、友達、先生、自分に関わってくれた人達に申し訳ないことだと思う。周囲からのありがたすぎる高い評価は、ありがたく頂戴して、誤解を受けたらそれは誤解です、とちゃんと話せばよいと思う。

そうすればもしかしたらその人とは分かり合えるかもしれない。分かり合えなくても、そう言う事もあるよ、経験しないと分かりようがないもんね、とやり過ごす。

そんなこんなで人生なかなか捨てたもんじゃなかったわけです。

いつも長い文章を読んでくださってありがとうございます。今日は富士山はお休みでした(雲の中)代わりに、ある日の神々しい富士山。

今回はアトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話<その6>アトピー、喘息と共に歩んできた私の人生の、アトピーと喘息がもたらしてくれたもの【自尊心を守ること】をお伝えしました。


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