見出し画像

アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話<その7>

こんばんは。
皆さん、お元気でいらっしゃいますか?
私はお陰様で今とても元気です。

前回は、アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話<その6>中学時代のころのお話しました。アトピー、喘息と共に歩んできた私の人生の、今回は<その7>アトピーや喘息から学んだたくさんの事だけど、アトピーとかと関係ない高校時代の話。

高校時代

今で言う、「思考は現実になる」を地でいく流れで自分のレベルを遥かに超える高校に入学したわたし。何も知らずに、母の知り合いの娘さんが「大好きで通っている」と言うだけの情報でよくこの高校に行きたいと思ったものだ。でも今なら分かる。

この高校で学ぶことがものすごく大きかったこと。

神様か天かハイヤーセルフかなんだか分からないけど、きっとそういう存在が私を導いてくれたんだと思う。

【高校時代に学んだ事】
学校の理念は「質実剛健」で、元々は男子校。この辺からすでに私にピッタリな予感がする。大正時代に女子も入学を許されたらしいが、数人しか入学しなかったらしい。私が入学した時も女子の数は圧倒的に少なく、1クラス45人中女子は平均15人だった。

入学してみるとみんなさすがに優秀な人ばかりだったけど、驚いたのはみんな勉強以外の事も何でもできること。むしろ勉強しかできないと肩身が狭い、みたいな。私なんてクラスで下から3番目だったから、勉強すらできなかったのに…..。

入ってみて「これはマズイ」とマジで思った。先生が言う、1科目3時間くらいかけて予習をしてきなさい、という言葉を真に受けて毎日予習した。

⚫︎期限を守る
毎日の予習だけでも大変な分量なのに、夏休みの宿題は各教科の先生方がてんこ盛りの宿題を出してくれた。その中でもとっておきだったのが英語。

チャールズ・ディケンズの「二都物語」を訳す宿題。

もちろん教材用だから簡単にしてあるのだろうが、ものすご〜ーく大変で、もうムリと何度思ったことか。でも話が進むうちに辞書をひくのが楽しくなってきた。次が読みたくて、辞書を早引きする技を得た。読みたくて、読みたくて、ひたすら辞書を引いて訳した。

そしてやっと小説を読み終わり、ノート一冊の翻訳本ができた。翻訳を完成させた達成感にひたるより、何より素晴らしい小説に感動していた。

9月を迎え、私は英語の授業が9/2だったので9/1は宿題を持っていかなかった。そうしたらなんと9/1がその宿題の期限だった

私はそれでも慌てず、職員室に行ってその先生に「宿題はやってあるので明日持ってきます」と言った。当然「それなら明日持ってきなさい」と言ってもらえると思っていた。ところがその先生から言われた言葉は私を絶望の淵に落とすものだった。

「明日持ってくるのはかまわないが、君は期限を守らなかったので点はつかないですよ。私も明日出されても中身は見ないから」

私はそのあと何と言ったのか覚えていないが、先生の雰囲気からどうにもならない物を感じた。確か宿題は翌日出したけれど、中身は見ないと言う言葉の通りそのまま返されたと思う。

もちろん点数はつかなかった

あれだけ頑張ったのに、何もしない人と同じだなんて。(何もしない人はこの学校にはいないと思うが)その時は先生を呪ったけど、後でどこかの営業マンが、大事な顧客の契約の時に契約書を忘れて契約はパァ、おまけにクビになったとか言う話を聞いて、社会の恐ろしさを教えてくれたのかなぁと思ったりした。

悔しかったけれどディケンズと出会えたのは良かった

大学の時にロンドンに語学短期留学した時にディケンズの家を訪れた。それくらいディケンズが好きになった。

⚫︎勉強する、という意味
ある部活で、試合の時にレギュラーじゃない生徒が英単語カードを持ち込んでそれを見ていたらしい。そうしたら監督が怒って、「試合の時は試合に集中するものだ。なにより対戦相手に失礼だろう。だいたい試合の時にまで単語カードを手放せない程度の勉強しかできないのか」

これには本当に驚いた

勉強する、という意味を教えてもらった気がした。単語カードを持ち込んで勉強していれば許されるのがそれまでの価値観だった。それまで勉強さえしていれば周囲は何でも許してくれる、みたいな風潮にいた。

違和感はあったが、それがそんなに悪い事とは思わなかった。よく考えてみれば勉強なんてあくまで個人的なものだ。あくなき知識の探求。興味、関心の赴くままに知識を得ることに没頭する。誰かへのポーズでも、誰かからの評価を得るためのものでもない。

勉強したければすれば良い。何をどこまで勉強するのかに優劣はない。勉強の意味を教えてもらった。

⚫︎授業中の居眠り
「授業中の居眠りは構いませんが、私語だけは謹んでもらいたい。他の生徒に迷惑だからね」大学に行った時、ある講師の先生が居眠りしている学生に激怒した。

自分の授業をバカにされたと言うことだったが、授業を中断して、先生の怒りの言葉を聞かされる私たちへの迷惑は考えないのかなぁとふと思った。

⚫︎騒ぐ生徒を鎮める方法
授業が始まる時間なのにザワザワしていた時、先生がヒソヒソ話で授業を始めた。みんなそれに気づいて静かになるとその先生は何事もなかったかの様に普通の声で授業をした。

後に大学で教職を取った時にそのナゾが解けた。

【望む通りをする】
静かにして欲しい時は静かに話す。やめてほしい時は、やって欲しい方をしてみせる。これは子育てにとても役立った。つい騒ぐ子どもに静かにしなさいと怒鳴ってしまいがち。つい、そんな事しちゃダメと叱りがち

(こういう風にやってごらんと言えば良いだけ)

要は、うまく行く方法をすればうまく行くわけだ。

⚫︎投票するという重大な意味
政経の先生だったかが話して下さった。「私は自慢できることが一つだけある。それはこれまで一度たりとも選挙を棄権したことがない事です。凡人ができる社会貢献は選挙で然るべき人物に投票することだと思っています。どうか皆さんも20歳になったら必ず投票には行き続けて欲しい。」

これは今切実に思うこと

今の政治が悪いと思うなら、それは過去20年位の間にみんなが投票に行かなかったから。理由はそれだけ。

あるデータのことを聞いた事がある。

投票率80%なら絶対に当選しない様な政治家が、投票率40%だとラクラク当選してしまう、という事だ。当選する事がゴールという政治家を生み出しているのは投票に行かない国民だ。

私は投票しない人だけの責任と言いたいわけではない。投票することの意味を、投票する人が広めなければならないと思う。だから投票に行く人が投票に行かない人を悪くいうのは意味がない。

低レベルな仲間割れは国の価値を下げるだけと思う。西洋では政治家を育てるのは国民という事らしい。当選後に何を成し、どれだけ国民の為に行動したかを見張り、公約を守れない政治家に次はないぞと審判を下せるのは私たち国民という事だ。

孫の世代の子どもたちが、この国にプライドを持てる社会を作るのは私たち大人の役目だと思う。あの先生の時の大人世代が必ず投票してくださったお陰で、私たちの世代は日本が世界のお手本になった(Japan as No.1)

今世界一のサービスを世界一安価に受けられるイージーな国という認識らしいよ、ニッポンは。白紙委任状を政治家に渡してしまったツケは、子や孫の世代に回ってくる。これ以上日本を安い国にしたら、あの時の先生世代と、孫世代に申し訳がたたない。

我々はまだまだやれることがたくさんある

そんなことを教えてくれた先生に感謝。(ちなみに私は国政選挙は皆勤賞)

⚫︎ルールは何のためにあるか?
私が行った高校は制服がない。校則もほとんどない。パーマやアクセサリーもやってはいけないという規定はなかった。それでデニムのスカートやGパンなど履いて行くのもOK。

だったが、ある時職員室にデニムスカートで行った生徒が、こんこんと説教されたという

それは、デニム素材の物はその昔、アメリカでゴールドラッシュの時代に作業し易い服装という事で流行った歴史があるらしい。なのでデニムは作業服であって学問をする服装ではないでしょうということだった。

ルールは何のためにあるのか?

みんなが気持ちよく過ごせるためだったり、勉強の効率を上げる物だったりそういう事はいちいち人に規定されるべき物ではなく、自分で考えて行動できるように。逆に規定になければ何をしても良いわけではなく、自分で考えて行動しなければならないという事だった。

そんな事ならルールで規定してくれた方がよほどラクだと思ったが、やっぱりラクしたツケは回ってくる。どんな社会に行っても自分で考えて行動できる人間になる事が重要だと後々気づいた・

自分で編み出した方法は、結果がダメでも自分の経験値になるし、人のせいにしなくて済む。うまくいけば自信になる。どっちにしても見返りは大きい

高校で学んだことは、後になってジワジワと。腑に落ちる珠玉の教えだったなぁと今思う。当時の先生方に感謝。そして一緒に高校生活を過ごしてくれた仲間に感謝。

長文を最後まで読んでくださって本当にありがとうございます

明日も素晴らしい一日になります様に

普段食べ物の写真ばかり撮っているので、こういう時の写真に困る。昨日の三日月(どう見ても丸く写ってるけど)

今回は<その7>アトピーや喘息から学んだたくさんの事だけど、アトピーとかと関係ない高校時代のお話でした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?