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アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話〈その3①〉

こんばんは。
皆さん、お元気でいらっしゃいますか?
私はお陰様で今とても元気です。

前回は、アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話<その2>3歳から小学校低学年までをお話しました。アトピー、喘息と共に歩んできた私の人生の今回は、〈その3①〉小学校高学年までをお伝えします。

小学校高学年

今まで読んでくださった方からは、私が悲惨な状況の中でも健気に生きてきたという、超過大評価を受けてしまいそうなので、そのままにしておきたい気持ちを抑えつつ、正直なところをお話したいと思います。

子どもの頃からのアトピーや喘息で、やはり心はすさんでくるものです。親にはずいぶんなことを言って悲しませました。こんなにハンデを負っているのだから、周りの大人たちは私を特別扱いしてくれたっていい。
みんな自分を厄介者扱いする。親くらい私のために精一杯やって欲しい。

そんなわがままな子どもになっていた。

私には2つ違いの弟がいて、弟も幼稚園くらいから喘息が出始めていた。
アトピーがなかったのが幸いだが、私は姉として弟の面倒を見なければと思う反面、甘え上手で色白でアトピーのない綺麗な肌の弟を両親は可愛いと思っているに違いないと、内心はとても寂しかった。

その反動が両親への無茶苦茶なわがままになっていたのだと思う。

ところがそんなある日、それまでの自分を一変させる事がおきる。小学校の5年生くらいの時、担任の先生は大変厳しいおばあちゃん先生で、国語の宿題の量はハンパなかった。

私は国語が得意で(留守番や病欠の毎日だから読書くらいしか楽しみがない)、その日は喘息気味で体調が悪かったけど国語の宿題はやっていこうと決めていた(向学心からではなく、褒めてもらえるのはそれしかなかったから)

夕飯が終わってまだ食べ足りなくて(今なら分かるが、病気で栄養が取られてしまうと摂食機能が狂うので馬鹿みたいに食欲が出る。それと精神安定剤代わりに糖質を摂りたくなる)、仕事を終えて疲れて休んでいる両親に、当時でき始めのマックのドライブスルーでハンバーガーを買ってきてよと無茶苦茶な要求をした。

私は喘息やアトピーで辛い中宿題をやろうとしているんだから、それくらいしてよ!みたいな気持ちだった。両親は仕方なさそうに何も言わずに買いに出かけた。私は初めはむしゃくしゃしていた。

でもその時の父母の表情が気になって、父母の事をあれこれ考えているうちに、突然、父母に申し訳ない気持ちが猛烈に湧き起こってきた。

私はなんて事を言ったんだろう。アトピーや喘息はむろん私のせいじゃない、だけど父母のせいでもないのに自分だけ辛がってイライラをぶちまけているわたしってなんなんだ。

アトピーや喘息を盾に周囲に甘えたい放題の自分にホトホト嫌気がさした。
そうしたら父や母に謝りたくて、そして心から感謝の気持ちが湧き起こってきた。あれほどまでに感謝したことはないくらい。号泣しながらひたすらごめんなさい、本当にありがとうと言っていた。

しばらくして父と母は幸せに「マック買ってきたぞ〜」と帰ってきて、号泣している私を見て驚いていた。私はやっと「ありがとう」としか言えなかった。

それから何かが変わったと思う

私はアトピーと喘息を持つ自分を可哀想だと思わなくなった。週に2回、学校を早退して受けに行っていた減感作療法(一度に注射を3本打つ)も前向きに受けられる様になった。

自分の毎日をお笑いのネタの様に捉える術を知った。

それまで大きな障害としか思えなかったアトピーと喘息が、そんな大そうなもんじゃないと思える様になった。だからといってその後両親にわがままを言わなくなったか?というとそうでもない(^^;
でもそんな、ときどき元に戻っちゃう自分も許せる様になった気がする。

ここまでお付き合いしてくださってありがとうございました

アトピー、喘息と共に歩んできた私の人生の、今回は<その3①>小学校高学年までをお伝えしました。

明日は明日の日が昇る、きっと良い日が待っている。



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