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理想の美容師さん 前編

 人生半世紀を過ぎたが、理想の美容院にはまだ巡り合っていない。

 しかし、理想の美容師さんには出会ったことがある。

 夫の海外赴任が決まるまで、何年か通った美容院があった。
 そこの美容師さんはとにかく凄腕だった。

 私の髪は、なかなかの難物である。

 髪質は猫毛で柔らかくコシがない。
 俗に言う天然パーマで、額の生え際にひとつと、頭頂付近にふたつ、つむじがある。
 もうそれだけで、まるで髪全体が鳴門海峡のようなうねり具合というのがお分かりいただけるかと思う。

 生え際のつむじのせいで、前髪は存在を許されない。

 かつてバブル期にワンレングスのロングが流行ったときは、額にすだれのように前髪を垂らすのがはやったものであるが、そのときは額全開のワンレングスで乗り切った。

 しかし若さが味方した当時に比べ、現在はことがより深刻だ。
 額にも、寄る年波が押し寄せている。
 その額を隠せる前髪がないのは致命的だ。

 加齢は残酷に、もともとコシの無い髪から、艶・ハリ・コシを奪っていく。その上、私は比較的若年の頃から白髪が多かった。
 それで、長年に渡り、髪を染めている。

 そうだなぁ…
 喩えるなら「落ち武者」。
 お風呂上がりに髪を乾かした後で鏡を見ると、落ち武者みたいだと思う。
 頭頂から白髪になるので、遠目、ちょうど月代さかやきみたいに見える。

 そんなわけなので、いつも髪はまとめてクリップで止めている。

 いっそ尼になりたい、と何度思ったかしれない。

 でも、無きゃないで悩むのが髪。
 頭皮にくっついてるだけマシだわ、と思うようにしている。

 初めての美容院に行くのは、だからいつも気が重い。

 「今日はどのようになさいますか?」

 たいていの美容師さんが最初にする質問だ。

 どのように、って。
 どのようにも、なったためしがない。

 最終的にはいつも同じ。
 ウネウネのワンレングスのボブが、長くなるか、短くなるか。

 最初はヘアカタログなどを持ってきて熱心に接客してくれる美容師さんも、鳴門海峡に挑むや次第に戦意を失う。

 前髪づくりにチャレンジする美容師さんもいたが、たいていは、しばらくあっちゃこっちゃつむじ付近をいじくったあと、「無理、ですね」と諦める。
 腕に覚えのある美容師さんほど「前髪つくるよりこちらのほうが素敵」と前髪を回避する作戦に切り替える。

 流行も変わるのだろう。最近は「ちょっとだけ前髪らしきもの」でも前髪と呼ぶらしく、たまに、顔の側面に「少し短い部分」を作ってくれる。
「全然ないより、アクセントになりますよ」。
 なるほど、私にも前髪が作れる、という実績ができたし、実際に雰囲気が良くなった。

 初めて独りで美容院に行くようになった思春期の頃は、若気の至りで雑誌の切り抜きなどを持って行ったりした。
 「はっ!(雑誌の切り抜きとか、まさか本当にやる人がいるとはね)」と鼻で笑われつつも、あの頃はまだ、美容院に対して夢と希望と期待を持っていた。

 可能な限りパーマは試した。板を何枚も頭から飛び出させる異様なスタイルのストレートパーマもやったことがある。毒を制するには毒、癖を矯正するには癖だと、ソバージュと呼ばれたパーマをかけたこともある。

 そのうちに白髪染めがメインになって、パーマの余裕はなくなった。
 お金をかける優先順位はカラー>カット>トリートメント>パーマ。

 ある時、悟った。
 というか、面倒くさくなった。
 諦めた。

 だからできるだけ、新しい美容院には行きたくない。
 美容師さんに説明するのがメンドクサイ。
 会話がガッカリ方向に行くのがウットウシイ。

 ところが転勤族である。
 やむを得ず、いろいろな美容院に行くはめになる。


 海外転勤前に通っていた美容院は、最寄駅近くの、できてまもない美容院だった。
 仮に店の名を「SUGOUDEすごうで」と呼ぶ。
 町の、よくある美容室だったが、おしゃれで、こざっぱりと小ぎれいな店内で、最初は少し敷居が高く感じられた。
 私は30代。
 既婚だが子供はおらず、外で働いていた。

 そこは相場よりちょっとだけ金額が高めだったが、可愛らしい看板犬がいて、その時は私も同じ犬種の犬を飼っていたので親近感があり、思い切って予約を入れた。

 オーナーであり店長の美容師さんは、私より少し若いくらい。朴訥で、それほど口数も多くなく、職人気質が感じられる人だった。繊細な感じがみてとれたが、店を持って張り切っている感じがこちらにも伝わってくるような、活気が漲っていた。

 彼は、カウンセリングをして根掘り葉掘り聞く、というタイプではなかった。ちょっと私の髪を触り、淡々と説明しながら、
「こんな感じにしたいと思うのですが、どうでしょうか」
 と言った。

「どんな感じにしますか」と言わなかった、初めての人だった。

 できあがりに、物凄く驚いた。
 生まれて初めて、「素敵な髪型」だと思った。
 フォルムがちゃんと「カタログ」している。
 自分の髪でもこんな風になるのか、と嬉しかった。

 その上、帰宅してからの再現度が抜群だった。
 美容院ではまとまっていた髪が、しばらくたつともっさりしたり、帰宅後下手をすると数時間でとっちらかったりが当たり前だと思っていたのだが、その後何週間もいい気分でいられた。

 すごい。この美容師さん、すごい。
 私は彼の腕に惚れ、それから何年も通った。
 スタッフさんは入れ替わったし、美容院自体は本当に普通だったが、お気に入りの美容院だった。

 海外生活を終え、日本に帰国して、さっそく「SUGOUDE」を検索した。

 美容院自体は、存在していた。
 しかしHPは何年か前の更新でとまっていた。
 予約のできるフリーペーパー系のサイトには「店長は不在」で「戻ってくるまで○○が店長代理をつとめます」というお知らせが。

 仕方がないので、別の美容院に行くことにした。

 前に住んでいた場所とはいえ、すっかり様変わりしていたし、以前より美容院が増えている。
 口コミなどを調べたり、知り合いに聞いたりもしたが、「住んでいるエリアの美容院にはいかない」という人も多かった。 
 知り合いに会ったりするのが嫌、という理由のようだったが、かといって自分の行っているところに100%満足しているわけではないのだという。
「どこかいいとこない?」
 と、反対に聞かれることも多かった。

 悩んだあげく、ネットで調べて予約を入れ、いくつかの美容院に行ってみることにした。

 最初の美容院はチェーン系で、あまりにもシステマティックな接客と、3回目4回目でも初めて会ったような顔で、同じ説明と会話が繰り返されるのに辟易した。

 次の美容院は真っ白な店内に煌々とした明かりで目がチカチカするほど眩しく、スタッフも店内に貼られたモデル写真も20代で、私が行くには若すぎて失敗。

 次は若い男性が数人でやっていて、店内が暗いうえに接客が雑で、雑誌は速攻で女性自身を持ってこられたのでやめた。京都のぶぶ漬けかと思った。

 最後に行ったのは、三十代くらいの男性店長さんだったが、接客もそつがなく丁寧で、年配女性にも親切だった。腕もよさそうで、働いているスタッフさんも感じが良かった。

 さらに、初めて来店してから1か月ほど後、店長さんから直筆の葉書が届いた。

 その後いかがですか、またのご来店をお待ちしています。

 それだけではなく、時候の挨拶からお手入れの仕方まで丁寧な言葉づかいで書いてあった。
 DMはよくあるが、手書きの葉書には恐れ入った。
 また行こうという気になった。すごい営業力だと思った。

 それからは、そこに通うことにした。

 この店は「Fudemameふでまめ」と呼ぶことにする。

 まったく、美容院ひとつ定めるにも大変なお金と労力が必要だ。決めるまでに、1~2か月毎の頻度で1年くらいかかった。
 何事も相性というものがあるし、やはり対象の年齢層というものがある。ネットで調べてだいたいのことはわかるのだが、行ってみないとわからないことは多い。年配のお客様もたくさんいらっしゃってますとネットに書いてあって、口コミに40代、まれに50代・60代の人がいても、侮ってはいけない。

 ぶぶ漬けを出される。

 もちろん、若いスタッフさんばかりでも、とても感じのいい美容院もある。
 そもそも、衛生的に無理、というところもある。
 写真には綺麗に映っていても、洗髪するところが汚かったり、染料を混ぜるところがあまりにもとっちらかっていたり、タオルが古びすぎていたり。

 とりあえず「Fudemame」に決めたとはいっても、SUGOUDEの店長さんが帰ってきたら絶対あの店SUGOUDEに行こうと思っていた。

 予約を入れるたびごとに、「SUGOUDE」のHPも見ていたが、全く更新がない。フリーペーパー系予約サイトを見ても、店長さんはいっこうに帰ってこなかった。

 その間、私はFudemameに通い続けた。

 つづく。





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