アドラー心理学「褒めてはいけない」についての自論

アドラー心理学では「褒めてはいけない」というものがあります。
これは「相手が褒められる事に依存する事で、相手の自律心を阻害してしまう為」なのですが、私はどうかなーと思います。

確かに、褒められる事に依存して行動する。そして『頑張り過ぎてしまう』
というのは、相手にも良くないですし、自分にも良くないと思います。
しかし、その原因が「褒めること」「褒められること」にあるとは、私は思いません。
…といいますか、現代的に「褒める」の定義が広過ぎるのかな?とは思います。
なので、もしかするとアドラーの時代の「褒める」と現代の「褒める」では違うところがあるのかもしれませんね。

では、話を戻して…
じゃあ「褒める以外の原因は何ぞや?」となる訳ですが。
結論「褒められた事の使い方を理解していないから」では?と私は思います。
そもそも、褒めるには大きく2種類あります。

①能力的なものについて
②好みについて

です。
例えると…

絵が描けるなんて凄い!
手先が器用だね!
…といった褒め方は、『能力について』

○○君ってイケメンだよね!
○○ちゃんっていいキャラしてるよね!
…といった褒め方は、『好みについて』

です。

それらは、同じ褒めるでも使い方が大きく異なります。
これは私の自論かもしれませんが、使い方はこうです。

《能力について》
実行の方向性…云わば「矢印として使う」です。
これは、『自分に合ったやり方』とも言いますね。
では「自分に合ったやり方の材料は?」となるのですが、それが『自分の得意な事』です。
この『自分の得意な事』は、他人に『能力的なものを褒められた時』にヒントを得られます。
そのヒントこそ「矢印」と私は例えています。
また、その矢印は、実際に進みたい方向性に進む為の「橋」や「標識」にもなります。

つまり、「自分はこれできてるんだ!よしっ、自分のやりたい事を実行するときや迷ったときに使おう!」
と考えてみるといいものかなと思います。

《好みについて》
これは、「やる気」や「モチベーション」等、自分が行動する際の「バフ(強化)」として使うといいです。
多分ここなんですよね。
褒めるといけないもう一つの原因、「褒められると安心する」です。
…褒められるより『好かれる』の方が近いのかな?
これも、貰い過ぎると安心してしまうのですよ。そして、行動できなくなるのです。
だから、「厳しくしないと」と思う人も居るのですが、厳しい事を言うと、厳しく言っても「自分は厳しく頑張ってきて、報われたいから、仲間を増やしたい!同じ人を増やしたい!」だけになってしまうのですよね。
これは完全に「押しつけ」で『自分自身の課題』なのです。

話を戻しまして
この「行動できなくなる」を改善する為には、「好かれている事を行動のバフにしてしまう」といいのでは?と思います。
つまり『背中を押してくれた』イメージですね。

また「自分は自分でいいんだ」と思える『お守り』にするのもいいと思います。


《まとめ》
褒めてはいけなくなる原因は、褒められた相手の行動の目的が「褒められることになるから」です。
なので、この「褒められた」を正しく…というと語弊になりますが。
受け取るべき形に受け取り、『自分軸』に落とし込んで上手く使っていきたいですね。

けれど、一つ注意すべきは…
『褒められたけどモヤモヤすることは、受け取らなくていい』という事です。
褒める側としても『相手が頑張っていることの中に我慢している可能性を否定せず、「無理しないでね」等と伝える』ことも大切だと思います。
難しいかもしれませんけどね。

これ褒めるのが得意不得意問題もあるのでしょうか?
ならば、「褒めてはいけない」も間違えではないところもあるのかなです。
難しいですね💦


※文章下手ですみません。
もし、伝わりにくいところがありましたら、ご了承ください。
もっと精進します。

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