「失敗してもいい」話について語ってみた。
子供の頃は親とか、仕事なら上の人が下の人を叱るのって、失敗した子供・下の人の間違えを強調したい訳ではないみたいなのですよね。
それは、ただの親・上の人の『承認欲求』らしいのです。
恐らく、「大変な気持ちをわかってほしい」「強い責任感を抱えていることをわかってほしい」といったことではないでしょうか?
ここだけ聞くと「承認欲求面倒臭い」と考えてしまうかもしれませんが、逆に考えると我々が気にしていた『自分の失敗を強調されたことによる、存在否定感は感じなくていい』と取れると思います。