僕が理学療法士(リハビリ)になるまで(学校編)
この記事の続きになります。
25歳になる年に理学療法士の専門学校に入学しました。
僕が通ったのは夜間だったので、始まりは18:00からでした。
なので、午前中にアルバイトをして、その後に学校に通うという生活を約3年間続けました。
※実際は、3年後半からは実習、4年生からは国家試験の勉強などで朝から晩まで学校にいることになるのでアルバイトはやめざるを得ませんでした。
1年目は、とにかく知識の詰め込みというか、解剖・運動・生理学という基礎になる勉強をしていました。
解剖学の関連で、触察の授業もありました。
これは、実際に服を脱いで肌の上から筋肉や骨、靭帯、血管などの位置を触って探る・覚えるという授業です。
筋肉がどこからどこに付着しているのか、解剖で学んだ知識を使って覚えていきます。
実際に、筋肉の縁となるところにマジックで書き込んだりしてインプットしていきました。
その授業は人前で脱がないといけないので、男ながらに最初は躊躇しました(パンツのぎりぎりまで脱いだりするので)。
※ここで余談ですが、僕はやや毛が濃かったので医療脱毛を受けたのですがそこで失敗してしまい、元々の毛よりも濃くなるという硬毛化という現象になりました。
なので自業自得ですが、より恥ずかしかったです。
早くこの授業が終わるのを願っていました。
ちなみに別の記事でも、この記事を書いているのでよかったら見て頂けると嬉しいです。
2年になっても勉強の内容がより深くなっていく感じで生活スタイルはいままで通りでした。
3年生になると後半から実習が入って来るので、アルバイトもやめなくてはなりません。
実習に入る前に、アルバイト先の職員方から写真入りの寄せ書きをいただきました。
本当にうれしくて、きつい実習中もこれを見て乗り切れた気がします。
4年生になっても実習は2回ありました。
3年生の時の実習は数日でしたが、4年生の実習は数週間~2か月あります。
僕は県外にいき知らない土地で過ごしながら実習に取り組んでいました。
そこの方たちもいい方が多く、(苦手な方もいましたが)とてもいい勉強になりました。
その実習が終わって、学校で実習でやってきたことの発表をすることになります。
どういう症例で、どういう問題点があり、その問題点の原因・仮説を立て、それに対しどのようにアプローチをしていくか、その結果どのようになったのか、今回の結果をどのように考察し今後にどうつなげていくのか、そういったところを大勢の前で発表します。
緊張はしましたが、実習も含めいい経験になりました。
そのあと、休む暇もなく受験勉強に入ります。
4-5人一組のチームを作り、教えあうという形で勉強を進めていきます。
そのチームの編成は、成績がいい人とそうではない人のバランスで組まれていて、誰も落とさせないという目的の元組んでいいます。
またお互い教え合うことでアウトプットにもなり、そういった記憶定着力アップも狙っていたと思います。
なので、受験日や卒業試験日が迫って来るとチーム全員は休みの日でも学校に出てきて教えたり、教えてもらったりしていました。
自分はどちらかというと教える側だったので、正直きついと思いながらも来ていました。
距離も4-50km離れており、休みの日は休みたかったです。
それに狭い教室で3-40人がいるとかなり窮屈で精神的にもきつかったです。
なので、近くの公園に外の空気を吸いに逃れていました。
そんな感じで学校の後半はきつかったですが、晴れて卒業することが出来ました。
そのころには仲の良かった学校の友達は途中で学校をやめるという決断をして本当に一緒に喜ぶ仲間は少なくなっていました。
4年間いろいろあったなあ~・・・嫌なことも、嬉しいことも、でもショッキングなことがあったりと、あまり学校の人たちを好きになることはできませんでした。
帰り道友達を、一緒に頑張ったねと讃えあってお別れした後、一人で帰る道すがら夜空を見上げて「終わったんだ~・・・」と4年間を思い出しました。
いろんなことがあったなあ、本当に頑張ったよ自分・・・
この日ほど檻から解放された気分になったのはありませんでした。
晴れて、卒業した後、アルバイト先に報告しに行きました。
このアルバイト先があったから自分は学校を乗り切れたと感謝しました。
そのあとはしばらく遊んだり、休んだり解放感に浸っていました。
ここで、理学療法士の専門学校編は終わりになります。
次は、就職編になります。
読んでいただきありがとうございました。
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