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書きたくないこと、こそ書こう

平成テレビっ子だって話

私は小学生の頃からテレビが大好きです。
人生で1番好きなドラマはやまとなでしこ、anego、ハケンの品格。
バラエティといえばめちゃイケ、スマスマ、うたばん。
私のキャリア思想は中園ミホ。エンタメ思考はフジテレビと鈴木おさむによって作られたと言っても過言ではありません。
そんな私は最近放送作家を引退された鈴木おさむのYouTube出演を追っている。
その中で、「自分が書きたくないことこそ、人が読みたいものだ」というのが心に残ったので、今日は自分のためにもここ最近のことを整理していくぅッ(空元気)

ワーホリきつい!

ここにきて、ぶち当たっています。ワーホリの壁。
仕事が決まりません。涙
そして、最初に決まったハウスキーピングの仕事にもあんまり呼ばれません。仕事が遅いと烙印を押されたのでしょうか。非常にネガティブなのでマイナス思考が止まりません。
家にいてもゆっくりするというのが苦痛。何もしてないことが罪悪感。減っていく残高にとても焦燥感。気分は落ち込み何度も求人サイトを見るもめぼしい求人なし。
でも、家の人にそんなそぶりを悟られたくないので毎日外に出かけます。
散歩して海を見たり。少しでも気分をリフレッシュしようと努めています。
しかし今週はずっと雨でそれもリフレッシュになりません。晴れ間にちょっと見に行ったら真っ茶色の海でさらに病みました。くそ。

望んでいたことなのに

そもそも、私がワーホリしたいと思ったのはそういう新しい環境に立ち向かう困難にぶち当たって成長したいから。
なのに、ブリスベンで過ごしたワーホリ前半は、ひよりにひよってその困難を回避するべく家も仕事も妥協してしまった。最初に心折れて日本に帰ることを避けたかったというのもある。
寿司屋のおばさまたちの辞めんなよ。という圧に屈してなかなか辞めきれず、やっと抜け出したブリスベンの生活から、ようやく望んでいたチャレンジングな環境。
ビザの残り期限はもう5ヶ月弱でもちろんディスアドバンテージ。
なぜ最初からこういう生活に挑まなかったんだ自分と自分を責めてしまいます。
あーあ、なんで今ここでハンデ抱えて仕事見つけようとしてるんだろ。
飲食は嫌だからと思って避けてるのに、妥協のつもりで受けたレストランの面接もボロボロだし。
と、どんどん自己肯定感が欠如していく。
この街が好きだと思って住むことを決めたヤプーンも、3週間経ってみると小さくてやることもなくて退屈な街に思えてくる。
あーもうこの街から出ようかなと思うけど行きたいところもないし。
働いてた寿司レストランにはいつでも戻ってきていいと言われてるけど、そこに戻るくらいならもう日本に帰った方がいいんじゃない?と思ってしまう。

身の置き所のない不安と焦り

私が「身の置き所のない」という意味をしっかり捉えたのは、父の亡くなる直前、セデーションという、死に至るまで持続的に意識レベルを下げることを父に施さざるを得ない状況になった時。
癌の痛みが著しく、何をしても、どの体勢を取っても、辛く苦しい状態になり、痛みから逃げるために体を動かしまくる状態(父の場合は元々の体格がよく身体的なベースが強かったのもあり、最後まで歩き回っていましたが、体が弱っている人の場合だと寝たきりのままのたうちまわると思います)を、主治医の先生から「身の置き所のない辛さ」と表現された。

その時の父の様子とその言葉[身の置き所がない]がすごくマッチしたので、私たち家族は父を楽にさせるため、セデーションを受け入れたことを辛い記憶としてよく覚えている。

そして今それを、自分の精神に対して置き換えて感じている。
今ここで何もできてない自分がすごく居心地が悪くて、自分の存在意義を必要以上に下げて感じてしまい、生理前も重なって(多分一番はこれ。😇)とっても苦しい。何をしても心の心地が悪くそわそわして落ち着かない。

毎日何か価値を創造しなければと焦ってしまうことで、朝起きるたびにあー今日も1日が始まるのか。と憂鬱から始まり、
なんとか夜が来るとやっと今日も1日が終わったーと安心する、まさにうつ病のサイクルに片足を突っ込んでいる。笑

地球のレベルからすると本当にちっぽけな悩みと大変さなのに、何かにめちゃくちゃ怯えてしまっています。

何かやらなければいけないという思い込み

本当は、ワーキングホリデーなんだからホリデーしてても全然いいのに。
お金も少しは貯めてきたんだからまだ生活できるのに。
仕事が決まらなければ、ブリスベンに戻ってまた同じ仕事をすればいいのに。
全部自分で自分を思い込みで追い詰めている。
わかっていてもきつい。なんでこんなにネガティブなのよ〜となる。
父の癌を例えたことが無礼なほど、ほんっとうにしょうもない小さな苦しみなのに、謎にめちゃくちゃくらってる。

頑張りたいのに頑張れない

これまでのnoteにもちらほらと書いたように、私は英語力向上を目標に志してワーホリに来たわけではなく、あくまで「やったことないことをやることで、得られる新たな知見を手に入れたい」という思いで今ここにいる。
なのに、それをやるために必要な英語力がないという壁に、今思いっきりぶち当たる。
英語を話さない人の中にいると、どんどん語学は抜け落ちていくもので、この半年でかなり英語力が落ちた自覚はあったけど、それ以前にそもそもの英語力が低すぎる。というところに直面してしまった。
今住んでいる家はオージーのカップルとフランス人の男、私の4人構成ですがフランス人の男は私からすると本当に英語がペラペラで、オーナーカップルともよく話している。
そこには西洋人特有の、私たち日本人からすると「くっそどうでもいいこと」をただ「口にしてるだけ」という背景があることもよくわかる。
そして私は今、英語できない+くっそどうでもいいことを口にできない
という2枚の壁にぶち当たってしまった。

そうなってくると部屋に引きこもり、誰もいない隙を見計らってリビングに出ていくのです。
かつてメキシコでルーミーと大揉めして家を追い出されることになったあの頃のように。

ダメなループとわかっていても

抜け出せないのがダメなループ。
本当はリビングに行ってなんでもいいから話しかければいい、だけ。
伝わらなくても一生懸命笑顔で会話しようとすることが大事。
それやれるだけでも自分の自己肯定感は必ず上がることもわかる。

なのに、できない。

英語を話すのは、ネイティブ相手と非ネイティブ相手でも気持ちが変わってくる。
これは日本人の日本語ネイティブの人誰もが共感すると思いますが、非ネイティブ同士は話しやすい。
お互い簡単な文法で話そうとするし、ボキャブラリーも簡単なもので構成されてるし、何よりお互いネイティブじゃないという心理的ハードルが低い。お互いわかんなくてもなんでわかんねんだよーくらいの気持ちで受け流せる。
一方でネイティブの相手と話すときは小さな失敗体験が積み重なって、少しずつ自信を喪失していく。
私の家のオーナーカップルは2人ともとってもフレンドリーで優しく、いつも会うと声をかけてくれるのだけど、私が発言するとなかなか1回目で聞き取ることが難しいようで困った顔でSorry?と聞き返される。
最初は私もめげずに話そうとしていたのだけど、だんだん毎回聞き返されるごとに、自分がインド人に対して身構える時と同じスタンスを相手に取らせてしまっていることに気づき、発言する勇気が出なくなってしまった。
(インド人に対する態度も改めないといけないなという気づきもあり)

現状に抗う自分

というの今の現状。
仕事探しは一旦お休みしてリフレッシュしたら?と人が直面していたら言いそうな状況も、自分のことだとそうは思えない。
てか、ビザの期限が迫っているのに寝かせてしまったらもっと仕事は見つからないことが明白。
だったら仕事する以外で時間を有意義だと感じられることに費やせばいいと思い、今日はボランティアの面接にまでいきました。(ちゃんと行動してんのエッラ
優しいおばあちゃんにコーヒーを奢ってもらって、ボランティアの志望動機とかを説明して、ここまで書いた自分の心情もさらっと伝えました。
仕事探しに苦戦していて、このまま時間を無駄にしたくない。お金は欲しいけどそれが無理なら時間を価値あることに使いたい。その経験で英語も伸ばしたいと。
このおばあちゃん、めっちゃ優しくて、大丈夫。全部うまくいくと優しい言葉をたくさんかけてくれました。なんてありがたいのでしょうか。

しかしですね。

そのボランティア高齢者施設のアクティビティを運営する団体なんですが、いかんせんお迎え前の老人相手の活動なので、この2024年の今もコロナのワクチン証明書を提出しないといけないそうです。

そんなもんはとっくにねえーーーーーーーーーー

アプリで簡単に取れたのはみなさん周知の事実ですが、このサービス2024年3月31日をもって終了しています。
それ以前に私はマイナンバーカードを携帯してきてないのでどちらにしろ取れないんですが。
他の方法だと、自分が接種した自治体にパスポートを見せて発行するしかありません。
いや、パスポートは今ここにあるんだわ。

仕事が決まらないワシ、ボランティアにすら辿り着けず。

周りの人に助けを求めなければ

自分が何で発散するのか、何が必要かは生きてきた経験である程度知っています。
今の私はとにかく人と関わって安らぎたい。
おしゃべりして発散して気分転換したい。
正直気分も重たく、その行動をとるにも周りにアジア人すらなかなかいないヤプーンでの環境は、旧知の日本の仲間に話を聞いてもらうしかありません。
今日の朝はたまたま前職の同期LINEが動いていて、なんだかエモエモな気持ちになったので、その流れで前職の仲の良かった人などなどにLINEしてみました。
同じ会社で働いてた人というのは思考回路も似たように構築されていたり、論法が似ていたりするので会話が心地いいのです。
個人差はもちろんあるけど、日本の社会構造の中で結果同じ会社で勤める人とは、生きてきた水準が似たり寄ったりっていうのもあると思います。

ここ最近は毎朝起きるたびに「今日も無職で乙ゥ…」という気持ちから1日を開始していますが、明日は、同時期に会社を辞めてそれぞれ海外に行ったりしてるメンバーと、ブレイクスルーするための時間を設けてもらったので、それを心の縁として今日は安らかに眠りたい。急ですが疲れたので終わります。(雑

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