見出し画像

今年のやりたいこと

去年、銭ゲバ学習に勤しんだ話は昨日書いた通り。

1970年生まれ今年50歳になるのだ。
私がおばさんになってもと森高が歌ってたけど
バッリバリのおばさんである。

しかし50といってもまだまだ動ける世代。

今年もやりたいことが渋滞している。

1.独学で少し会話できるようになった韓国語をさらに活用できるべく教室に入りたい


2.資産運用の勉強はやめないで続ける
経済心理学や行動経済学への探究心に素直に従う。


3.作品展があるので作品を完成させる


4.自治会長は任期満了で卒業するが
福祉協議会のボランティアに参加する


ざっと挙げただけでもこんなものだ。
2018年に病いを経て少しずつ自分の頭で考えながらやりたいことをやればいい…と思うようになった。

韓国語は去年の春に韓国旅行に行った際、
韓国語が堪能なひとが1人しかいなくて、
9人の旅。

10年ほど前、子どもがまだ小学生で外に働きに行くのを止められていた私は家にいても時間を持て余すようになっていた。


習い事のポジャギに出逢う前に韓国映画にハマっていた私はまだレンタルビデオだった時代に韓国映画をレンタルビデオ屋を梯子して探していた。
(まあ、韓国映画にハマる前は香港映画で同じようなことをしていた、ベトナム映画にもハマったし、イギリス映画にもハマった)

そのうち韓国のキルト「ポジャギ」と運命的な出逢いをしてしまう。コレがポジャギね↓私が作った

画像1

ポジャギ工房koeを主催する李京玉(イ・キョンオク)先生と私は同い年でちょうど
ステンドグラスのようなものを習いたい…と考えていた頃に「布のステンドグラス」と呼ばれているポジャギと出会ってしまうのだ。

それは恋だと言っても過言ではない。

画像2

コレは私が作ったものだが、
京玉先生の作るポジャギの色彩はこんな感じ。
色彩の美しさ、形の取り方、すべてに惹かれた私は門下生になり15年ほどになる。

参考文献がないと燃えるタチである。
韓国語で書いてある文献をなんとか読めないか!
と独学で勉強を始めた。

若い頃、フランス料理をやっていた自分。
フランス料理とイタリア料理のレシピなら読めたのだから韓国語で読めないはずがない…と思った。

私はちょっと没頭癖がある。
持て余していた時間を韓国語学習にあてているうち
なんとなくわかるようになっていた。

話を戻す、
9人のうち1人が韓国語で交渉したり、
タクシーに乗せたりするのは大変だと思ったので
出来るだけ私も現地の人と韓国語で話し行き先を
説明したり、値段を聞いたり、布地の端切れを買う交渉をしたりして3度目の渡韓で

「アレ?これけっこうイケるんちゃう?」
と思った。

9人のリーダー、韓国語が堪能なお姉さんにも
「あんた!韓国語の学習は辞めないでやりなさい。
いい線行ってるのよ!こういうのはね、習ってても話せない人の方が多いの!あなたヒトが好きでしょ、コミュニケーション取るの好きでしょ!」

…と背中を押してもらった。
間違ってても話す度胸があれば良いのだ。
しかし、日本にいても話す機会がない。

本当は去年習いに行きたいと思っていたのだが
思っている間に年が明けてしまったのだ。

2の行動経済学や経済心理学については、パン屋のフロアで接客をしているが天気によって気温によって時期によってお客様の入りの差がある。
実際に株をやってみて株式って気分で動いてる…と思った。誰かが売りに出したら慌てて売りに出すひとがいて、そうすると株価はダダ下がり。

しばらくすると株価が下がり買い気分でまた株価が上がっていく。
経済って案外気分で回ってんちゃう?…と思い始めたら掘り下げたすぎて鼻息ハアハアである。

3の「ポジャギ工房koe」の作品展は2年に一度と決まっているので、これを成功させたい。
ただ今、絶賛制作中。仕事と両立させているので隙間時間に縫い進めることしかできない。
すべて手縫いですすめる手工藝なのだから。

4の自治会長の任期は2年。
間にがんの手術したりしておやすみもいただいていたけれど年末夜警も終えて残すところ行事もわずか。

地域のと繋がりのなかで知らなかったことだらけで相互扶助によって街は成り立っている部分が多い。

最近は自治会に入らない、自治会には入っても校区連合には参加しない…という個人主義に変わりつつある。
しかし、外灯1つ勝手に立っている訳ではない。

災害時の訓練をしたり、
バスツアーの引率をしたり夏祭りの実行委員会に
参加したりしてそれこそ仕事との両立は大変だったけどやってよかったと思っている。

もともとは三重県から流れ流れて今の街にたどり着いて根付いたのだ。
たくさんの知り合いができたことに喜びを感じている。

がんになって手術して、投薬治療で再発防止を図っている身の上であるが拾った命を役に立てたいと考えるようになった。

ちょうど福祉協議会の長のファンキーねえさん
Nさんと知り合えたのも大きい。
お金にならないけれどもちょっと役に立つ、
そんなこともやりたい2020年。

健康に気をつけながら、
走馬灯のページを増やすのだ。






うれしかった時にお金を入れる缶がわが家にはあります。1年間のうれしいをまとめてクリスマスに募金しております。サポートしていただいたら世界のどこかで役に立つかも!