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和歌ってる日々


「花の色は移りにけりな いたづらに
わが身世にふるながめせしまに」



齢50を迎えたら泌みるのよ。
小野小町の心情が。


「美しかった花の色はすっかり色あせてしまった
長雨が降り続く間に。私も空しくこの世で歳を取ってしまった。物思いにふけってるあいだに。」

ぐおおお!小町よ!
超!わかりみー。


まあ、ボーっとしてた訳ではないが子育てに人生に
しゃかりきコロンブスに挑んでいる間に
気がつけば取っているそれが歳。

息子が「唯我独尊この世の春」の年齢に差し掛かり、
キラッキラの若者光線を発射している
おかんに花の色の時代なぞ無かったような扱いを
受けながら思ふ。

あったのよ。
あたしにもそんな時代が。
遠い昔だけどね…


中学、高校と和歌を習った時代には
なんて退屈と思ったのに、五・七・五・七・七に
広がる世界に魅力されてしまっている
齢50にして。

歳を重ねれば重ねるほど
和歌に含まれる意味が自分の経験を通して
ああ、と耽溺してしまうのだ。

もともと古典は好きだった。
源氏物語はいろんな方の現代訳を読み、
解説を読み「欲しいものが手に入らない、ままならぬことは身分があってもそうだし、だいたい今の世と悩んでること変わらんやんか」

……と思う。

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閑話休題

ついこの間
1年と3ヶ月かかって制作したポジャギが完成した

126×126そこそこの大型。
1針1針全て手縫いで自治会長の任期2年を
全うして「さあ!」と思ったらコロナ禍で制作が少しずつしか進まず例年より長い時間を費やしてしまった一枚。

長距離マラソンを走り抜いたようなもので、
燃え尽きるかな?
と、自分でも心配していたが案外大丈夫だった。

コロナのせいで(うちは2トップの大阪府)
緊張感を強いられ、仕事の物量が増えた。
食品従事夫婦の我々は細心の注意を払って行動している。

つまりはどこにも行ってない。
スーパーと職場のみ。外出の娯楽はゼロ。

その上コロナのせいで単純に仕事の物量が増えた。
仕事が終われば白目で一旦昼寝でもしないと
疲労の蓄積が抜けていかないほどに体力と気力を使っている。

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去年の春、百済や新羅のあった韓国へ旅をした。
中大兄皇子の時代に日本初の対外試合
「白村江の戦い」が行われた場所に行った。

たくさんのものを見て「なぜ?」がたくさん湧き出てきて中大兄皇子の時代の解説や小説を読みまくり
額田王や大海人皇子にハマる。

からの万葉集である。

ポジャギ制作とコロナ禍でしばらく遠ざかっていたが、
残って燻っていた燃えカスが再燃している。

今だよ!今こそ和歌!
雅の世界、身をよじるような恋の情熱、
ああ、ココとソコの言葉を掛けるんですか?
たまらないですね。
それは本心なのですか?それともからかっておられるのですか?


季節をそんな風に詠むのですか?
美しく耽美的ですね。
そんなふうに歌が詠めるなんて凄いですね


阿倍仲麻呂は遣唐使で唐に渡って
日本に帰れぬまま唐でその生涯をとじている。悲しみ日本海とは阿倍仲麻呂のためにあるのでは。

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和歌の世界に耽溺していると、
ため息すら出てくる。

「萌え」である
燃え尽きるより萌えあがっている


そうして他人の歌を覗き見しながら
男が通ってくるのをただ待つだけの
この時代の女の扱いについても考える

わたくしみたいな凡夫が誰かの寵愛を受ける気も
せず上手く和歌を詠むこともできず平凡な
さしておもしろくもない女の元に誰が通うねん
…と思うと

夜離れ(よがれ)は必須、ひとり寝の怨み歌ばかり
詠んでいるに違いない。

そう思うと現代日本で和歌萌えしてるのが1番の幸せと思えるのである。

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