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愛を知ること。

乳がん告知の日から、
ちょうど1年。

次男が一緒についてきて診察室で先生に
「ちょっとまずいんだよね…乳がんだったよ」
と告げられた時に目に入っていたMRI画像。

乳房全体に白く米粒のようなものが散らばる画像は
今でも脳裏にはっきりと浮かぶ。

「これ、全摘ですね…」
と、患者の方から言ってしまう…という、
ドラマと全然違う!!!!…という告知場面。

診察室を出て、
ハタと気付いてしまった。
「あ、こいつ、まだ18歳!」

大学生になり、身体も大きくなった次男坊だったけど
母親のガン告知に付き合わせてしもうた…

やべえ。
…という気持ちで、

「こんなはずじゃなかったんやけど、
なんかごめん…」みたいなことを言ったと思う。
先生には「形も綺麗だしたぶん良性」と言われていたが薄く確信はあった。
自覚症状ゼロ健康体そのものだったけど告知の瞬間からガン患者という事実

次男坊にはとんでもない場面に遭遇させてしまって
「申し訳ない」という気持ちだったけど
彼曰く
「おかんさ、そこは『どうして私が?』って泣くところじゃないの?」と呆れたように言われた後で、

「俺はさ、おかんが一人で来て一人で車を運転して帰りながら『家族になんて説明しよう』って悩むところを想像したら辛いからさ、今日、先生に直接聞けて良かったと思うよ」と言われて、
「大人か!」と思った。

それからしばらく、
次男坊が気にするのはガン患者の私より、
夫のことである。

「お父さんの気持ちになったら俺は辛くてたまらない」…と言うのだ。
オイ、そこはガンになったおかんの気持ちじゃないのかよ!…と思ったが、同時に嬉しくもあった。

次男坊には高校生の頃から付き合っている、
明るくて優しい彼女がいる。
彼女と付き合うまでは暗めの男くさい青春を
送っていたのだが、彼女と付き合うようになって少しずつ彼女に性格が寄って行ったように思う。

きっと、
「愛する人が病気になる」
という方に肩入れするのだろう。

それって、とっても素敵じゃない。

「愛する人」ってなかなか巡り合えないのだと思う。
チューリップの「青春の影」という曲の歌詞に
「愛を知ったために涙が運ばれて」という部分があるが、その通りだと思うのだ。

愛を知る…ということは同時に悲しみも背負うということだと私は思う。





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