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歳って流れるように取るものだ。

次男が成人式を迎える。

2000年問題で沸いた、
1999年の11月に生まれあれから20年経った。

私と夫が出逢ったのは21歳の時なので、
息子たちの彼女との初々しくも可愛らしい
やり取りを見ていると、
「私たちもあんなだったんだけどなぁ…」
としみじみと思う。

若い頃、森高千里の「わたしがオバさんになっても」がカラオケの定番だった。
これを歌うと盛り上がった。

ところがだ、
「私もオバさんになったよ」な今日この頃。
歌詞に「ディスコ」言うてるしな。
「ディスコ」て!今そんな呼び方する?
……死語……時の流れ残酷。

オバさんになるなんてずっと先の話だと思ってた。
気がつけば49。今年は50だ。
周り見渡して
「いつ?いつ?いつこんなに歳取ったん?」
と思う。

歳を取るのが嫌なわけじゃない。
私は「美魔女」という生き方は否定しないが、
自分はそのカテゴリーには入りたくない。
若見えと美にしがみついている自分を想像すると似合わなすぎて辛い…痛々しい。

美魔女ブームの頃テレビで

「私は『美』に1日5時間かけています!」


とドヤ顔の美魔女に千原せいじがすかさず

「パート行けや!」


というツッコミを入れていた。
芸人ヤバイなと思った。
頭の回転の速さと言葉のチョイス!
5時間という時間の枠と時短パートの一致感…。

若さ…というものはあっという間に消えゆくものだ
全力疾走していたら50手前になっていたという
感覚が一番しっくりくる。

あの「若い子扱い」されていた自分、
若いから許されていた自分はどこにもいない。
すっかりおばさんになった自分がここにいる。


息子たちの彼女が座っているだけで放たれる
後光の明るさよ。
彼女たちが笑うと弾けるように空気も弾むのだ。

もう、私はドリフやバカ殿様に入っている爆笑おばさん笑いしか出来ない。
ドッと笑っておばさん感をためらいなく発揮する。

若さにアイデンティティを持ってると、
若さというのは残酷に失われてゆく。

出産してすぐまだ出産ハイの時期に
「子どもだけの人生にしてはダメ、自分をきちんと持って生きなさい」と、とある世界で有名な年上女性にきつく言われた。

子ども120%のつもりだった自分は
その言葉に「えー!」と思ったけど、
自分の時間に趣味を持って活動してきた。

ようやく子育て解放の今、
あの時の教え守っておいて良かったな…と思う。
子どもに依存せず、自分と子どもを分けて考える癖がついた。
子供の巣立ちが素直に嬉しかった。

やっと自分に戻れるとも思った。
そして気がつけば歳を重ねた自分がここにいる。

人生とはどうやら流れるように
歳取るように仕組まれてるぞ。
油断するなよ!若者よ。
鼻くそほじってたらすぐ50。


成人の日、我が次男坊も成人式だ。
花向けの言葉としてここに記しておきます。




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