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夫婦の会話・・・夫に言ってほしいこと

最近「妻のトリセツ」という本が売れているようです。

先日、テレビでも2つの番組で紹介されていました。こんなシチュエーションの時はこういうセリフを言ってはいけませんというのを再現ビデオでやっていました。

例えば、一日家事がほとんどできていなくて疲れてしまっているとき、会社から帰ってきた夫が絶対に言ってはいけないセリフ「今日、何してたの?」全く悪意なく言ってもそれはダメ。

もう一つ、食事を作ってさあ「食事ですよ」となった時、夫の言ってはいけないセリフ「え?おかずこれだけ?」

日常的にありがちなセリフですね。

問題は言ってはいけないことを意識して言わないことではなく、何を言ったら相手が傷つくのかをわかっていないことです。

仕事で遅くなる日が続くと、やっぱりぎくしゃくしがちです。

まして小さい子供がいると罪悪感もあります。

そんな時に、どっちが先に帰るか・・とか夕飯どうしよう・・とか子供たちがお腹すかしてるだろう・・とか保育園の時間とか・・・自分の中だけでどんどんプレッシャーが高まるわけです。先に帰ってくれた夫が「お前遅すぎる」なんて言おうものなら、爆発寸前のイライラが頂点に達するわけです。

トリセツ以前に、互いの日常でできないあるいはできていない部分を責めてしまうと当然うまくいかなくなります。夫からみれば自分は会社で働いているストレスがあると思うところでしょう。もし妻が専業主婦だったりとかパートや派遣ならなおさら自分の方が苦労していると思いがちです。

でも、育児や家事って絶対に避けられないもので永遠に続くのです。しかも省けないことが多い。それに生活の基盤であって、やっぱり「家庭」とか「家族」とかを大切なものとして定義するのであれば、それが崩壊すると当然生活の基盤そのものが崩壊するように思えるので家事や育児抜きに語ることはできません。

自分勝手な言い分だけで生きようとするのであれば、独身でいいと思います。今の時代どういう選択しても責められることもないのですから。ただし、どんな選択であっても「責任」はあると思います。

子供が出来たら「親」としての責任。結婚したら「夫婦」としての責任。思うに、男とか女とか関係ないわけですよ。責任を負うというということは。

では夫に何を望むのか

別に指導してほしいわけではありません。解決方法を教えてほしいわけではありません。日常の他愛なく過ぎる小さな問題・・・「どうしよう」程度のことなら、「お前の考えるとおりでいいんじゃない?」とか「思うとおりにやってみたら?」程度でいいんだと思います。

共感が第一。そして客観性。

本当に間違っているときは一番身近な社会人として意見があっていいと思います。社会では誰も教えてくれませんから。

家に帰ると自分に戻るといいます。先ほどの言ってはいけないセリフは自分の主観から発するセリフですね。主観だけに戻ってしまったら互いを責めるだけになってしまいます。

「俺は会社でストレス抱えてるんだよ」とくれば「私だって毎日大変なのよ」と互いの場所での苦労を投げ合うようになるのです。つまり「おれだって・・・」とくれば「私だって・・・」の応酬になるわけです。個人の闘いですから際限なく続けられるのです。

どこでやめるか・・・・

どちらかが折れるまで。ということになりますね。

でもその時はへとへとに疲れているわけです。どちらにとってもです。


なので、妻のトリセツっていう本が売れる理由として、夫の方が折れることが多いからだと思います。まあよく聞く話の中に「口じゃ絶対に勝てないんですよ」とか「奥さん怒らせると口をきいてくれない」というのがあります。

私のところで愚痴を言う男性にいつもいうことですが

「そっか。でもうち帰ってお前だってとか俺だってとか言ってない?」とかきくとみんな「あーあるなぁ」といいます。

「まずね。前提としてみんな大変な思いをしていることやストレスを抱えていることをわかってないとだめだよ」っていいます。

「で、人って性をこえることができないの。女性は男の前で女性でいたい。でも最近の男性は「優しい」という言葉を理解していないから「男性」を放棄してない?奥さんだって女性だし、夫から「一番いい女」と思われることって大事なことなんだよ。そのために彼女たちに「綺麗」でいられるための言葉や態度をとってきたのかな?奥さんっておかあさんじゃないんだよね。

ただお金や物を与えていれば女でいられるわけじゃない。女は仕事をしていれば性別を超えて仕事をしなければならないし、家に帰るとお母さんになり夫の前で妻になりそして基本は女だってこと。ところが男って外でも家でも男だけでいいわけよね。大きな違いがあることを知ってほしいな。

そう、夫に言ってほしいこと

頑張っていることを理解して、対等にそして女性として生きる「私」を受け止める言葉なのです。



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