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“とびきりいい靴をはくの いい靴を履いていると その靴がいい所へ連れて行ってくれる”




例えば、会社帰りにショッピングモールに寄り道し、ぶらぶらし、靴屋に並ぶ美しい靴の数々を舐め回すように見ているときに、思い出す言葉がある。

“とびきりいい靴をはくの いい靴を履いていると その靴がいい所へ連れて行ってくれる”


基本UNIQLOでええやんと、お洒落にそれほどこだわりのないわたしだが、実は靴が大好き。毎回こだわり抜いて、気にいる靴を発見するまで、絶対に、買いたくない。それは生活に支障すら出るレベルで、去年はある時期、靴不足に陥って、履く靴がなかった。


靴が好き。 “とびきりいい靴をはくの いい靴を履いていると その靴がいい所へ連れて行ってくれる” とは、 花より男子 という不朽の名作漫画にでてくるものだ。F4の幼馴染である藤堂静が牧野つくしに放った言葉。藤堂静といえば、かの有名な花澤類との淡くて切なくて恋とも呼べないが非常に親密な関係に、憧れや尊さを抱いた女子も多いはず。そんな完全無欠のお嬢様の藤堂静のこのお言葉に、思春期のころは「なんて可憐で美しい感性なんだ・・・尊い・・・無理・・・」と、感動を覚えたものだ。

「靴、めっちゃ大事じゃん。」

いい靴を履くと人生が豊かになるのだとその言葉通りに、気に入った靴は手入れして、何年も大事に履いているのである。

そのひとつがMILKの赤いサンダル。

MILKはガーリーテイストのブランドなのだが、大学入学時にいとこが買ってくれた。たしか原宿で。青森からでてきた田舎者のわたしへTHE 東京の舞台を見せてくれたのだ。エナメルの赤に大きめのお花の飾りがこれでもかと施された、ウエッジソール。この赤をみると、都会に押しつぶされてずっと泣いていた上京当時を鮮明に思い出す。いまもたまに履いてるので、かれこれ8年目の付き合いだ。長すぎる。だが全く飽きないし、いつまでも所有しておきたい。デートの時は、スキニージーンズとTシャツでラフと思わせながら、足元でこのラブリーと合わせる戦略をとり、当時としてはこれが美学、粋、最もイケてると思い込んでいた。たぶん正解は、ギンガムチェックのトップスと白いひらひらスカートに合わせるとかだと思う。が、そうしなかった尖った思い出がいまは愛おしい。


靴が好き。これは陸上部だったことも由来もする。かつて、わたしは俊足だった。100mを13.2秒で走っていた。青森県で7番目に足が速い女だったこともある。脚力があり、かなり高くジャンプでき、バスケ部時代は試合中「8番(わたしである)マークしろ!!!」と指示をする相手コーチの叱咤に、どうしようもなく嬉しかった。

そう、わたしは自慢をしています。

いまはその面影すらないが、脚力や瞬発力を評価されてきた私の脚、そして足は、自慢で誇らしい。それであるから、靴には人一倍の思いをこめがちなのだ。もしかして、世紀の大発見、実は、靴よりも自身の身体のパーツの方が好きで、つまり脚であり足であり、引き立たせる存在として靴が好きなのかもしれないと、さっきふと思い、非常に興味深く、このようにnoteにしたためずにはいられなかた。



靴が好き。いい靴を履きたい。まずは靴屋に行こう。そして、花より男子の藤堂静の言葉を頭に散らつかせよう。つぎに、これからも、どこまでも、いいところへ連れて行ってくれないかと願いを込めて、いまとなってはせめて気持ちだけだが、自慢の身体のパーツを引き立たせて、自信をくれる道具として、靴を買おう。

そうすれば、いい靴を履ける。

“とびきりいい靴をはくの いい靴を履いていると その靴がいい所へ連れて行ってくれる”

これは一種のナルシズム。恍惚の時間。

やっとこの境地までたどり着いたぜ。さて、藤堂静、恐るべし。こんな世界観をものの18歳くらいで体得していたとは。。。

怪物お嬢様であるといいたい。


#エッセイ #靴 #花より男子 #藤堂静

夢に向かって頑張ります‼