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旅行前から予兆と知らず

ある番組で和歌山県の高野山の特集を拝見したのが、きっかけでありました。1200年目を迎えた弘法大師のお膝元へ2004年に世界遺産登録され観光客が賑わう高野山をまるごとわかる番組に釘付けでした。早速友人に徴集をかけましたら、1人が名乗りでた。彼女がまさしく私の願いを叶えてくれた第一人者となる。

宿泊所などコースをあらかじめプラン打ち合わせミーティングをした。私が余裕でいたら、先にもうプランを仕上げて現れた。普段おっとりした彼女の素早さに今回委ねることにした。逆に今回ギャップを感じていたので、驚きもあり、彼女に任せてみようと宿泊所も、宿坊提案に即決で決まり、一の橋に近いところに予約をした。

2016年7月の初夏陽気の前日になんとカッパえびせんを食べていたら、みぞおちのお臍の上あたり、がくんとするなにかを感じ、なんだかだるい熱くなり、体温計で38.2℃になった。「えっ!どうしよう!!ごめんね。飲み物とゼリーをお願い」と頼んで、脳裏によぎるのは、彼女にキャンセルすることは、できないと意志が働きなんとしても行かねばと。♪やめられないとまらないのカッパえびせん♬こどもころから大好きで、一袋はペロッといきますね。ここで誤解がないようにカルビーさん大好きなので、えびせんのせいではありません。みなさんは言わなくても大丈夫でしたね。

しかし何の前触れとも感じなくて当日の朝を迎えてました。36℃に平熱になっていたので、安心しました。フラフラの頭痛が多少ある中、すぐ回復するだろうと新幹線で新大阪へ乗継の駅で極楽橋駅まで急行があり、南海高野山ケーブルに乗り込み高野山の入り口へちょうど腹ごしらえに釜飯を食べた。エネルギーだいぶ回復した。奥の院の前に宿坊までの距離を歩く余力はあった。病み上がりの体にいい効かせ歩いていた。






初体験の宿坊の道沿いには、観光客の中、外国人の姿もたくさん行き交う。和菓子屋さんなどお土産通りは素通りした。 117ヶ寺があり、そのうち52ヶ寺は宿坊が、奥の院の入り口まで歩くと両サイドに宿坊の建物が、風情を感じ、弘法大師のように修行に勤しむここは聖地だ!!キターという感じでした。歩いている間かなり重厚な空気に触れていたような気がします。荷物は一時宿坊に預けて、いざ奥の院の入り口にやっと立っていた。

木々の真ん中を参道があり薄暗くひんやりとした空気でもあった。頭痛かすかに残っていたしかも、なぜか肩が重いと感じた。

織田信長や豊臣秀吉のお墓があり、墓前に拝んだ。そうこうしている間に、弘法大師の眠る奥の院 間近になんと左手の方には、お目当ての格子状の祠の中に、弥勒石はあるのですが、小さな小窓があり、腕が1本しか入らないその窓から弥勒石を持ち上げると願いが叶うというのです。前列の女子2人組もその前のカップルも断念した様子でした。


ちなみに中の様子はと言うと、上下2段になっていて、下の段にある弥勒石を上の段に【持ち上げることができれば願い事叶う】とテレビの放送通りでした。彼女が先にやりなかなか重いといって、つぎに私の番です。石は持ち上がり、奇跡があるとうれしい気持ちの一瞬でした。その石を上の二段に挙げると同時に落ちました。その右手の1本に薬指に触れた感じはわかりました。そのあと内出血になり、だんだん紫色になってきました。

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御朱印帳の担当の方に聞くと「気をつけないと怪我をするよ」痛いままここで試練が訪れたと実感する。弘法大師の奥の院での護摩焚き予約を済ませて、急いで宿坊へ駆け込む。

心臓より上に挙げていたが、一向に痛いのを看かねて、宿坊の方へ連絡してくれた。お車を出していただきコンビニへ氷をゲットした。宿坊の方にとても感謝です。宿坊には氷がないことに驚きました。

その夜はご覧の通りジンジン痛くて寝れず、隣の彼女はスヤスヤと眠っておりました。宿坊も修行のうちとはいいますが、かなり痛みとの修行を経験しました。

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宿坊の朝は、阿字観瞑想初体験を15分間をいたしました。       

 しかし瞑想中の薬指の痛みとの狭間に無になることはかなり過酷と感じつつ、目を開けて壁側の胎蔵曼荼羅にも魅了しました。

宿坊といえば精進料理へ宿泊された方が続々と座敷にご対面しました。正座をしていただくとなぜか精神統一にもなり、背筋もピンとなります。寝不足気味の私よりも彼女の絶好調にまたここでも、驚いた。

外国人への食事のマナーを積極的に英会話を始めた。彼女のサービス精神にはここで発揮する場面に遭遇したことがなかったので、培われた感覚なんだと普段の彼女の一面とはギャップがあったので、ここで頼もしいと実感しました。

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しかし、外国人の人はいったい困っていたのが疑問はあったけど。

案の定 敏感な私だが不調のため、センサーは働かなかった。正座のしびれは心配なく、途中で横すわりに変えて立ち眩みのなく、ほっとしました。

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本日は帰還の地に帰る前に金剛峯寺 根本大塔 南無青龍大権限     

見学へ三鈷の松】をすでに見つけている人たちの群れる光景に、なんとここで彼女の最速にまたまた、10分もしない間に見つけた。ほかの方も探しているがぜんぜんなさそうだ。

私もかなり粘り諦めかけたときその数分前にまた彼女が二本目見つけた。私はあきらめない気持ちもあり、待たせているプレッシャーを感じやっと見つけたのが、短い三鈷の松だった。      

真言密教の言い伝えがある。その松の木の葉を持っていれば幸せになれるという言い伝えもあり、ちょっとした人気スポットになっています。彼女の一本は一緒に同行するはずだった友人の分に、今から4年前のこの三鈷の松は二人ともいつのまにか役目を終えてどこかにあるようだ。


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1本の松の木に明州の浜から投げた三鈷がかかっているのを見つけこの地こそ真言密教にふさわしい地をお選びになり、

いまなおお弟子さんに引き継がれていく、弘法大師空海が遣唐使と一緒に唐(今の中国)に渡ってこられ、弘法大師は62歳の西暦835年(承和2年)3月21日に入定され、

即身成仏で今も日本・世界のために使命を果たされている。永遠に息づくこの地であります。旅を終えていろいろと重みを感じて岐路に向かいました。

※右手の薬指が骨折でなくてよかったです。爪が脱皮したのを初めてでした。人間の自然治癒力に感動しました。病院いかずに自力で治しました。おかげで、古傷がたまに痛むとき、旅を思い出します。





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