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幼きものの感性と共に自然との親密さを取り戻す。

2020年は世界のほぼ全ての人類にとって何かしらの転機だったと思います。私ももちろん大改革を起こす事になりました。

主人が自宅勤務になり、当時1歳ほやほやの息子の保育園が閉鎖になり、カオス状態の40平米の中野坂上のマンションから逃げ出す様に千葉県南房総の和田浦という海と山と畑しかない漁港町にある両親の別荘に避難しました。最初は数泊のつもりが、それから東京に戻る事はありませんでした。
私は生まれも育ちも東京ですが、元々自然に対してある種の感情的な親しみが強く、潜在意識下でもし子供を授かったら自然の中で育てる!という絶対的な願望があり、まるで並行世界が実在するかのように、そこから強烈なパラダイムシフトが始まりました。

海際の田舎暮らしと言えば聞こえは良いけど実状は、日々雑草やカビとの奮闘や畑仕事、レストランもお惣菜も無いので3食自炊で予想外の重労働!地震による津波や台風被害の恐怖。一年目の冬にはダムの枯渇で水不足にもなりました。
冬には木を燃やし家を温め、暑い夏は殆ど涼しい屋外で過ごし、自然農法の家庭菜園を気が向いたら程度にして収穫を楽しむ。
効率を優先する今の社会ではデメリットの方が遥かに上回るかもしれません。それでも田舎で根を張り丁寧に生活をしている美しい人達に会っていくと、精神力、人間力の強さに感動するのです。

さらに遊具のある公園や、近所に同じ歳くらいの子供もいないので、朝から晩まで誰もいない砂浜を掘って、すくって、ばらまいて。私が農作業してる傍らで土を掘り返しまくったり、動物的に一つの事にひたすら集中して取りさらわれてる幼児を、ただ見守る2人ぼっちの静寂で孤独な時間。
と同時に、誰にもコントロールされる事の無い自由で自発的で心地の良い環境でもありました。
そんな私達を見守る、太平洋から昇る朝日、波を照らす輝く月、満天の星空、虫たちの声、花の香り。それらは実態の無い鮮烈な記憶として心象に刻まれます。そして、それらが私の心を穏やかにしてくれたので息子との信頼関係は回復し、同じ目線での感動や喜びの共有をする事で親密さは深まったのだと思います。(0歳の時は正直一緒にいる事が苦痛で、仕事のアレンジメントや預け先の事ばかりに奮闘していました。)
波打ち際を永遠と駆け回る幼児に私は確かに太古の人間の進化途中の風景を見て、その一瞬の輝きが全てであり、墓場まで持っていく唯一の宝物です。

 南房総市和田町の海

私が自然育児に対して、どこか夢のような想像を抱くきっかけになったシンプルな書籍が2冊あり、一冊はレイチェルカーソンの「センス・オブ・ワンダー」。もう一冊は手塚治先生の「ガラスの地球を救え」でした。
センス・オブ・ワンダーはレイチェルカーソンの他の書籍と異なり、詩的で優しい文体から人生の辛い時期に何度も読み返してレイチェルの自然に対する愛を受け取っています。
また、私は幼少期に火の鳥のアニメで育ったので(親が無差別に選んだVHSがそれだけという。笑)手塚先生の思想がプリインプットされている事もあり、この本の最後の「宇宙から眼差しを持て」は産まれてくる子供に語りかけたいメッセージだと妊娠中に妄想していました。


人間の根源的欲求とは他者との繋がりですが、それは孤独を伴い上手くいかない事がほとんどで、私達は死ぬまで悩み狂わされます。
どん底な状態の時に寄り添ってくれるのは常に永続的である自然の心象風景だと思います。心の中で感じればそれはいつでも親密さを感じさせてくれます。
子供がいなくても自身の子供時代の埋もれてしまった感性はいつも自然との親密さによって取り戻す事が出来きると思います。
私には育児という程の良い理由が無ければ、働き盛りの3年間もの南房総の暮らしは困難だったと思います。ポートランドに移住してまだ3ヶ月ですが、南房総の自然との繋がりは切れる事は無く生まれ育った東京よりもずっと、「ホーム」という気持ちがあります。

実際の所、私は息子に自然育児をして効果的な結果のようなものが特に得られたとは感じていません。身体的には確実に強くなったとは思いますが、、どんな環境を与えてもきっと彼は彼のままだと感じています。
きっとそれはただ、育児中に子供時代をやり直したい願望  ---東京のビルの最上階の屋上で微かに光る星の光を観察していた私の子供時代の願望を叶えたかっただけかもしれません。
ただ自然との親密さを取り戻した私はもう二度と自然から遠く離れた生活はしないでしょう。都会育ちの私は非効率で不安定な生活にたびたび無く日も来るかもしれませんが、笑。全ての経験に感謝をしています。


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