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煩悩の秋

2024年9月14日(土)

先日の日記で書いた、元職場の人に言われたことをまだ引きずっている。前職で働いていた時の私の言動についての苦言だった。私はリーダー的ポジションにあったので、あなたが上に対してイエスマンだとまわりが迷惑する。あなたの立場で引き受けちゃいけないことがたくさんあったよ、というようなことだった。

口数が少なく威厳を出せるタイプのリーダーと、口数の多いタイプのリーダーがいて、あなたのような後者のタイプのリーダーは簡単に謝ったり安請け合いをしてはいけないのだと。2年越しに苦言を呈された形。

割り切ろうと切り替えていたつもりだったんだけど、今デスクの整理をしていたら、前の会社を辞めたときにみんなが書いてくれた寄せ書きがたまたま出てきて、「このチームはあなたがいてくれたからあるようなもの」と書いてくれている人がいて、泣いてしまった。

前職にいたときの私の全否定をされたわけではないとわかっていても、でもあの頃の自分を否定された気持ちになって落ち込んでいた。

私の言動について色々と苦言してくれたこと。いまさら言わなくてもいい、言いづらいことを言ってくれて「今後はこういうところを注意したほうがいいよ、私みたいにあなたの胸の内まで聞いて誤解を解く人って少ないから、あなたを誤解して嫌っている人もいる」と伝えてくれたのは、彼女も私のことを考えて言ってくれているのだから、傷つくけれどありがたいことなのだと思うが、私にもあの時は仕方がなかったという状況を抱えていたのに…という感じで腑に落ちなさもある。

全員から好かれるって無理だな、とも思う。

「無理そうなもの、与えられた職務の範囲を超えた仕事依頼などははっきりと断るべき。仕事を断ったら評価が下がると思ってるかもしれないけど、逆にそういう態度をしっかりとれる人のほうが尊重されるよ」とも言われ、それは本当にそうだと思った。断るより引き受けてこなしちゃうほうが楽で、そうしてきたけど結局潰れて結果迷惑かける、みたいなことはあったので、しっかりとバウンダリーを守ること。

あの職場は、スイスから帰国して失意の中、肩を落としていた私が水を得た魚のように生き生きと楽しく仕事ができた職場だった。未経験の業界に飛び込んだ私が伸び伸びと働けたのは、業界が合っていたこともあるだろうけれど、この、私に2年越しの苦言を呈してきた人が精神的に助けてくれたこともたしかに大きかった。私は最後にこの人に後ろ足で砂をかけるような形で逃げるように辞めたのだから、その報いが今、2年越しにきたのだ。

今朝起きてコーヒーを淹れているときに、前の職場で働いている時に、卵巣摘出手術の退院から復帰した際に、この元職場の人に卵巣摘出したことと子供を持つことをあきらめたことを話した時に「まだ子供間に合うよ、子供っていいよ」と言われたことを思い出した。

きわめて個人的な領域に言及してくることにびっくりした。

「子供をあきらめる」という一言に、絶望、諦め、悲しみという負の感情を伴っている人がかなり多いことは理解しているので、「私はもともと子供が欲しいという願望が極めて少ない」という情報も併せて伝えている。それにも関わらず「子供っていいよ、あきらめないで」的なことを言ってくるのはバウンダリー概念のない田舎の親戚じゃあるまいし…と感じたことを覚えている。

今回もキャリア相談をしたつもりはなく、愚痴をこぼしただけだったんだけど、こっちの選択肢しかあり得ないというような追い詰めるような説得をされたことと、なにか繋がるものがある気がした。そういえばこの方のご両親がとても支配的な人だったということとも。

まだ苦い思いを引きずっているが、職場で辛い時にいつも助けてくれてたのもこの人なんだよな。辞めるときに逃げるように辞めてしまって、彼女との約束も果たさずに、彼女からしたら裏切られたような思いをさせてしまったことは本当に申し訳なかったと思う。頭の中がずっとぐるぐるしている。しばらく複雑な気持ちは続きそうだ。

2024年9月15日(日)

入ったばかりの会社を試用期間で辞めました。

この会社は前職の同僚からの紹介で入った会社だったので多少気まずい思いはしたし、私はまた前職に戻ることになったので(6月末に辞めて9月再入社。。スピード再婚みたいな)彼女は思うところあったのか疎遠になってしまった。戻った会社でも「紹介は人に迷惑かけるから慎重になったほうがいいよ」と年上の女性に苦言を呈されるなど、転職は個人的なことであっても人が絡む以上、人に極力迷惑をかけないようにしなければならない。この年齢の転職は特に私の場合、人からの紹介でもない限りかなり厳しい戦いになるわけだが、今回はその紹介を反故にしてしまったので、申し訳ないとしかいいようがない。戻る会社で腰を据えて頑張る。

2024年9月16日(月)祝日

祝日。今日は午前10時の開店からホームセンターへ母親と一緒に行くと決めていたので目覚ましでちゃんと起きた。ベランダに置くコンテナを買い、壊れたポストの相談をし、部屋に置くゴミ箱を買った。スーパーに移動すると妹一家と合流して一緒に買い物。この時点でまだ11時半。まだ午前中!?思わず時計を二度見。朝から行動するとこんなに充実するんだ。用事のない休日なんて昼まで寝てるよ。午前中まるまる平気で潰してた。

なんて書いてるけど休日の楽しみが「目覚ましをかけずに寝続ける」が鉄板で変わらないので、今日のように強制的に用事を作って動き出さないと、ずっと寝てしまう。ずーっと寝ていたい。

2024年9月18日(水)

スイスに行ったあの時から4年経った。2020年の9月だった。片側顔面痙攣の頭の傷も生々しいままコロナ禍まっさかりに飛行機に乗って相方に会いに行ってその次の日には金のことで大喧嘩した。

2024年9月19日(木)

私はなんでもかんでも過ぎたことはみな忘れてしまうように思われていて実際おおむねあっているが、ささいなことを妙に覚えている。チューリッヒのトラムが発車するときの音とか、一人で細い人参を切っていた時のこと、そのときのキッチン、椅子をつかわないと届かない高い扉の中に鍋やフライパンをしまっていた。冷蔵庫には色の変わった和牛があったこと、冷蔵庫には人参と少しのチーズとマヨネーズがあって、それを大事に大事に使っていたけれどルームメイトが勝手に使っていたこと、レストランで働いているルームメイトの食うものが自分のものよりいいもので惨めな思いをしたこと、食卓の窓、その窓際に立って煙草を吸うルームメイト、窓の外のどんよりとした曇天と銀杏の木。いつも一人だった。時間だけが漠々と過ぎていくのが怖かった。結婚の話いっこうにしないけどどうなるんやろう、ビザもないから仕事探しもできないし、私はシャワーもろくに出ないこの間借りの家を早く出たくて家探しに躍起になっていた。初めて訪れた国、しかもチューリッヒで、到着して間もなく家探しという難関中の難関にトライしていた。アプライするための書類にサインをくれと相方に催促すると「仕事探しもしないで家ばかり探して」とブチギレられた。私はスイスでなにをしているんだろう。

ルームメイトの部屋にある洗濯物干しを借りたこと、その洗濯物干しひとつ、私が使いたいときとルームメイト(ダニーロの同郷の小太りの女の子で、たぶんだけどちょっとごく軽い知的障害があった)が使いたいタイミングとがかぶると、私のいない間に生乾きの洗濯物がとりこまれ、部屋のベッドに投げてあった。そこには無言の怒りを感じたし「洗濯物干しぐらい売ってるから買え」とも言われた。

洗面所に落ちる私の黒い髪の毛が忌み嫌われ、風呂場に落ちているあなたの髪の毛をどうにかしろと何度か言われた。私もかなり神経を使って風呂上りなどは洗面所を見回して髪の毛が落ちていないか調べたが一本ぐらいも見逃さずにチクチク言ってきた。どうして日本人は髪が黒いのだろうと初めて思った。

その間借りの家のシャワーはぶっ壊れていてチョロチョロとしか出ない、しかも湯もぬるい。ぬるい湯がチョロチョロと出るだけだ。そんなのシャワーとは言えない。「ねぇ、ここ嫌だから一刻も早く出よう。私家を探す!」と一生懸命になっていた。というか、それしかやることがなかった。ダニーロが結婚手続きの話をしなくて、転職したばかりだから仕事で忙しくてそれどころじゃないから仕事探しでもしとけよ、って言われて、いやワークパーミットないから職探しなんか無理だよ!の喧嘩が毎晩おこなわれた。

彼は私のその言い分を一切聞かず、履歴書は書いたのか?配ってみたのか?何度も言われた。どうどうめぐりだった。

あの曇天のチューリッヒの街を毎日絶望の気持ちで歩いていた。使えるお金も限られてるし、仕事してないから減る一方だし、それでも腹は減るけど食費もろくに出してくれなかったので、かなり切り詰めていた。

ダニーロがルームメイトに家賃を払ったあと「今日彼女に家賃を払ったよ」と報告したのは「どうしてお前はおれの財布を頼っているのだ」の意味だった。

私がチューリッヒに着いたその日だったか翌日だったか、スーパーで食材を買おうとなって、ダニーロがどうして俺が全部金を出さなきゃならないんだといって、仕事がみつかるまでは金銭面は助けてよ、と話したんだけどそのことでダニーロがキレてしまって、もうだめだった。ブチギレ状態で袋詰めの人参をダニーロが籠に投げ入れた。それからチーズとかパンとかパスタとか。その食材をちびちび、ちびちびと消費していた。

チューリッヒ新参者なのに超難関の家探しをしてた体験はこのへんに詳しい。

あれから4年経った。4年経ったんだ。

おもしろい体験だったと笑うには歳をとりすぎている。それに全くおもしろくはなく、今でも思い出すと悲しくなる。9月、10月とチューリッヒの秋が深まり寒さが増してくるほどに精神的な辛さは厳しくなった。日本での人生を絶って海外で誰かと暮らすというのに、その誰かが、ちゃんと私に向き合ってくれる人なのか、その見定めもしないで人生を賭けてしまった。

あのスイスでの3ヶ月のほとんど、私はヒステリー球に悩まされていた。焦り、プレッシャー、待てども待てども将来のことを切り出さないダニーロ。ここまで来たからにはもう失敗できないと追い詰められた精神状態。(私は結婚を約束した人を追って海外に出て挫折している過去がある。また同じ経験を繰り返しそうな恐怖がとめどなくこみあげるのと、それを打ち消すので呼吸も浅くなっていた)喉が詰まって苦しくて、息ができなかった。

あれから4年、ダニーロとは別れて最近では音沙汰もないけれど、あの時の自分の何が間違っていたのかは、「これ、このまま進んでいい方向にいくわけないな」と身体全体で感じてたのに、私の状況を理解してもらえないなら別れると言えなかったこと。別れるのが怖かったんだ、私。

いつも「これを逃したら」「これしか選択肢にない」というような狭い視野になっている時って当たり前だけど苦しくて、余裕がなくて、そしてそういうものを掴もうと必死になってる時って絶対掴めないんだよな。「追えば逃げる」これはこの世の常。

2024年9月21日(土)

職場の年上の人に、「転職にはもっと慎重になりなさい」とストレートに言われたことは前にも書いた。ここ最近は転職劇場の絡みで、人に叱られたり人が離れていったりが重なって、さすがにメンタルにきている。就職は極めて個人的なことと思いつつ、近しい同僚から紹介してもらっていたりして、辞めるにも再入社するにも旧知の人が多く絡む事情もあったし、奇妙な言動に悪い意味で注目が集まってしまって、気まずい。戻った職場で淡々とやるべきことをしっかりとこなして結果を出していくしかない。このfussも時薬でいつかは忘れ去られることだ。

やることワイルドなわりにメンタル脆弱なんだよな、私。

今日、目が覚めたら14時だった。一度か二度目が覚めた気がするがそのまま寝続けた。今日はしっかりめに風呂の掃除をして、そのあと22時くらいまで3時間ほど寝た。寝ても寝てもいくらでも眠れる。黙ってるだけで涙とか出てくるし、ちょっと鬱っぽい。

そういえば9月は厄月だった。




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