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健康的で文化的な最低限度の生活

2024年1月30日(火)

今日も今日とて下世話な日記を垂れ流していこうと思う。

今年は「時間を味方に」がモットーだ。年頭に立てたモットーなのだが1月も終わらないうちに挫折気味だ。時間を刻んでやるべきことをパシパシと進めていきたいのだが、最近また鬱が酷くて行動が遅い。頭の中ではやらなきゃやらなきゃと焦るのだが、身体に鉛を付けられているようなのだ。冬季鬱だろうか。

ひとまずそんな時は自分を責めずに、このモットーを忘れずにおくというだけでもよしとしよう。

2024年1月31日(水)

毎年思うことなのだが、1月って長いな。あけましておめでとうの元旦が1月のはじまりで、まだ終わってない。あの大きな地震からまだ一ヶ月経っていない。復興も遠そうだ。

なんだか寂しい気持ち、感傷的な気持ちに支配されている。絶望とか詰んだ感じのタイプの鬱から、センチメンタルタイプ鬱に移行した。負の感情が絶望とか感傷とか寂しさとか、グラデーションで私の中を去来する。

言葉にならないほどに仕事環境が嫌で仕方ない。夜に住宅街を走る灯油の販売車が流す音楽が、気持ちを重くする。noteに「メンタルヘルス」というカテゴリーを作ったが、私の場合鬱がデフォルトなのでだいたいの記事が鬱っぽく、わざわざカテゴライズすることもなかったかもしれない。

2024年2月3日(土)

私の中では今日からが2024年だ。初詣にまだ行けていない。明日行ってこようかな。鬱が酷くて、昨夜は勝手に涙まで出てくる始末。仕事でもちょっと(かなり)嫌なことがあったのがトリガーとなって、心のパワーレベルが底をついて寝込んだ。風呂も入らず泣きながら寝た。重症だ。

今日土曜日は、本当になにもせずにずっと布団にいた。

この行き詰まり感はお金と運動が関係しているのは薄々気づいている。つまり、解決法のめどはついており、それに期待もしているので、絶望しきっているわけでもない。

実は、今月台湾に行くのでそのチケット代ホテル代、そしてペーパードライバー講習で10万円近く、それからクリスマスにブランドのバッグを狂った頭で衝動買いして(と言ってもハイブランドではないのだがそれなりにした)、年末にカードを切ったそれらの支払いを無理して分割せず一気に終わらせたので、1月と2月は絶望的にお金のない月間なのだ。

お金がないために気晴らしもできない。行動の自由がきかない。思った時にお金がネックになってすぐに行動に移せないじれったさ。そしてこの欠乏感を自分自身の経済力の弱さとかに結び付けて人生を憂うなどもしてしまったため、鬱を加速させてしまった。お金って本当に大事だ。本当に。本当に(実感)。

それから、圧倒的運動不足も鬱の原因だ。それに気づいてダンス教室に問い合わせの電話もした。しかし先述のとおり、お金をしばらく使えないので、「ダンスを再開しよう!」と思ったタイミングで始めることができなかった。

私の生活は、朝9時頃から仕事のパソコンを開き、朝と昼兼用のものを食べて、気づけば窓の外が薄暗くなっており、18時前後で息がつきてベッドに倒れこむ。疲れ切って数時間泥のように寝てしまい、そのあとノソノソと起きて、ラップのかかった用意された夕飯を食べ、風呂に入り、だらだらとYouTubeを見て現実逃避をし(いつまでも風呂に入らずだらだらYouTubeが長引きすぎて風呂が深夜に食い込むことも多々)、布団に入ってからもスマホを極限まで顔面に近づけて下世話で無教養なものを眺め続け、ぎりぎりまで眠らずに頑張り、ついに薄っすら睡魔がくれば、こと切れて死んだように眠る。そして望むと望まざるとに関わらず、朝がまた来てしまう。この繰り返しだ。

色気がなさすぎる。文化がなさすぎる。人とのあたたかな交流がなさすぎる。健康で文化的な最低限度の生活とは。

「動かす」ということ。運は動かないとまわらない。動かないと何も前に進まない。じっと心の苦しみに耐えながら膝を抱え、泣きながら一人禅問答をやっていても、日は昇りまた沈んでゆく。その間にも時は進んでいる。時を無駄にしている。まあそんなこと言ったって鬱が悪化すると動けないんだけどね。膝抱えて泣いてることぐらいしかマジでできない。

ただ、動きたいなと思えた時にお金がなさすぎて自分の行動にストップがかかる状態に身を置くのはもうやめよう。ご利用は計画的に。

私は性分的に静ではなく動の人間だと思っている。止まるということが気持ち悪い。常に動いていないと本来だめなのだ。停滞は敵だ。鬱が酷くて動けないからどんどん状況が悪くなる。悪循環だ。

お財布解禁になったら一番にダンス教室に申し込みに行こうと思う。

2024年2月4日(日)

自分との仲直り法は自分が一番よく知っている。へそを曲げてしまった自分の機嫌の取り方は、自分が一番よく知っている。辛い時は世の中に転がりまくっているアドバイスにすがりたくもなるが、一時の救いに思えても、結局のところは気休めにもならないことがほとんどだ。自分の傷の治し方は自分が良くわかっている。

鬱を発症しているときは、頑張れないのは仕方がない。臥せってるしかない。今日は初詣に行けたら行こうと思っていたけれど昼過ぎまで起きられなかった。昨日の夜中に作ったブローチは、今朝見ると全て失敗だったので潔く五つ全て捨てた。

こんなふうに毎日ブルーなのも疲れる。接客の仕事をしていた時はどうだったかな。ダニーロのところに行くまでの一年ほど働いていたレストラン。激務だったけどこんなに鬱じゃなかったよな。やっぱり私、デスクワーク向いてないのかな。身体動かしてたほうが心身の健康にいいのかしら。雇用形態にこだわらず、自分がハッピーに働ける環境を探し求めようかな。まあ当時のあのレストランも、ゴミみたいなハラスメント野郎がたくさんいたし、私の嫌いな体育会系ではあったけれど、そんな環境でも私、うまくやれてたのは優しい人たちが周りにいてくれたからだな。コロナで一斉解散になってしまったけれど、みんな今頃どうしているだろう。

2024年2月5日(月)

今日は関東が大雪だ。12歳ぐらいの頃は雪が降ると妙に感傷的になったことを覚えている。空から堕ちてくる雪を窓からずっとみつめながら、部屋を槇原敬之の歌でいっぱいにして、詩とか書いたりしてた。

不安は無限に湧いてくるけれど、大丈夫と思うことでしか生きていけない。

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