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わたしの履歴書

あえて自己紹介を書いてこなかった。noteヘッダーのプロフィールもこんなかんじで極めて簡素である。↓↓↓

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履歴書が大嫌いだからだ。そういった書式におさまりきれない自分がある、自分がいる。一言で言い表せない自分がいる。私が投稿していく作品を読んでもらって私を知ってもらいたい、あなたの読んだものが私だ、とばかりの心意気だ。私が20代まで役者を目指して頑張っていたことは、この自己顕示欲の強さから垣間見えるだろう。

デカいことをのたまったが、しかし私は直木賞作家でもインフルエンサーでもなかった。10年も続けたTwitterもいまだにフォロワーが100人をいったりきたりしていて、人徳のなさに落ち込んでいる毎日である。

noteでもTwitterでも私がフォロワーを増やせないのは私にパワフルな肩書がないからだと思っている。それと、投稿にテーマといったテーマがないからだと思う。Twitterでも、うまく運用している人には確固としたテーマがあるようだ。例えば「在米」「翻訳家」「おもしろつぶやき」「政治」「ワーママ」「専業主婦」「不倫」「起業」「純喫茶」「昭和なつかし」そういったテーマがプロフィールにあって、そのテーマを主軸にtweetしているから需要があるのだろう。私など肩書もテーマもないままグダグダと呟いていて、フォロワーもいっこうに増えなくて当然だ。

例えば惹きつける肩書ってやつは、こんなことだろうか。

☆大手外資系企業でマーケティング15年/趣味は海外旅行・登山
☆編み物作家・著書『猫と過ごす編み物教室』Amazonにて販売中
☆海外生活20年/ドイツの生活を配信します
☆臨床心理士・カウンセラー HSPでも生きやすい生活情報を配信中
☆英在住アーティスト/翻訳・通訳/たまに雑誌に寄稿しているライター

なんか、読んでもらえそうな肩書。

私には肩書がなにもない。だからプロフィールを書くのも苦手だし、履歴書も大嫌いだ。それなのに転職回数が多くて就活のたびに履歴書を見ながらそのたびに吐き気をもよおしている。これまでに日本での生活を捨てて飛行機に乗って遠くヨーロッパまで飛び、失敗して帰国して就活ということを実は一度のみならず繰り返している。詳しくは追々記事で書いていこうと思う(アメブロには書いた)。ただただ恥ずかしい人生なのである。

私は1980年生まれの40歳なのだが、40年も生きてきて「恥ずかしい人生」としか言えないのは心底情けないけれど、人には優しいことと、自分に正直に生きていることは胸を張れるだろう。

仕事はバックオフィスの経験が多く、秘書や、特許事務所にいたこともある。最後はミシュラン星付きレストランでレセプショニストをやった。40歳ちかくなって、明るくてサービス精神のある自分に合っている仕事は接客のような、人とダイレクトに触れ合う仕事だと実感できた瞬間だったがコロナで仕事もなくなってしまった。

私はHSPの鬱持ち。4年付き合ったパートナーと結婚しようと思ってスイスくんだりまで行って失敗して帰国して、今は派遣で日銭を稼ぐただの40歳である。40歳でたいした経歴もないが、幸い英語ができたのでなんとか雇ってもらえたのである。

昔mixiというSNSサービスが流行った。マイミク申請という名の友達申請を送って、承諾してもらえるとそのサービス上での友達、マイミクになれる。mixiの面白いところは、マイミクが紹介文を書いてくれるのだ。大学時代の親友がmixiの私の紹介文をこんな風に書いてくれた。

弱くってとても強い

さすが親友だなと思った。この短い一言に私のほとんどすべてが凝縮されているみたいで、私はたまにこの言葉を今でも思い出す。強いというと響きはいいのだが、私は弱いくせに好奇心旺盛でそれで無謀だった。野心があるのに怖がりだからここ一番というところで逃げる。だから人生がいつもジェットコースターなのだ。臆病ならそれなりに、確実安定な道をゆけばいいのに、冒険して怪我ばかりしている。そういうのを親友が強いといってくれたのかどうかはわからないが、私は自身をドン・キホーテみたいな人間だと思っている。

うまれながらに神経質で、幼いころから両親の手を煩わせてきたが、20歳頃から心に不調をおぼえるようになった。40歳で人生にまた大きな変化があって(私の人生はまあまあなジェットコースターなのだが)、ぐっと精神的に落ち込んで鬱を悪化させてしまった。生きていく上での目標とか野望とかが、全くなくなってしまったことが辛い。情熱なしに生きていくなんて、私には無理だ。

それでも人生は寿命までは続いていくので(精神状態が悪い時は希死念慮が出ることもあるが自殺だけはしないと決めている)、苦肉の策として50歳までは生きると決めている。自分で人生に区切りをつけるのは、自殺しないという決意と矛盾しているが。

私は文章を書くことと絵を描くことが好きなので、寿命までにこれを形にしたいなと思っている。文章を書くことは昨年秋からnoteを始めたことで何とかスタートした。絵を描くことを始めることが当面の小さな目標である。

SNSで人気者になるには有用な情報提供が何より大事とのことを聞いた。何度も書いているように私にはスペシャルな肩書がないので、提供できる情報などなさそうだ。けれど、ちょっと変わった経験と、おもしろい文章を書く自信はある。

私にとって文章、読み物って、休日のコーヒーとお菓子とともにあるものだ。あるいは眠れない夜の友達である。つまり、脳の癒しなのだ。ただの余暇、joyなのだ。「有用な情報を得る」という目的だけで読む読書なんて、味気ないではないか。私のバカバカしい日常生活を書いた小さな文章が、日々の辛さや楽しさの隙間にコーヒーやビスケットとともにあればいいな、と思って書いている。私がこれまで読んできた本の作家さんたちがそうしてくれたように(自身を著名な作家陣と並列するなど恐れ多いが)。

そうだ、私は自分にも人にもレッテルを貼るのが苦手なんだ。HSP。鬱持ち。それはその人の何パーセントでしかない。私はいつも、もっとその人そのものを知りたいと思っている。

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