こどもにとっての公共空間

子育てをしながら「こどもにとっての公共空間」と大人にとっての公共空間は必要性の次元が違うんじゃないかってずっと思っていた。

外出が自粛され、遊具が使用禁止になり、一部の公園は閉鎖になった。
大人はリモートワーク、オンライン飲み会、オンラインイベントいろいろ置き換えることができる。日向ぼっこならベランダでもいい。家でトレーニングとかヨガとかして体も動かせる。
でも毎日公園で遊んでいたこどもにとって公園での遊びを置き換えることはなんだろう?
家でできる遊びとはだいぶ性質が違う。

こどもの年齢、性格や体質にもよるけど体を動かすことを自然と求めていて、本能に近いような。うちの場合5歳の娘が7歳の娘に比べてその傾向が強い。彼女は普段から外に出ると「あー、走りたい!」と言って走ったりする。今日も夫と3km走ったらしい。彼女は欲している。明日も夫と朝走りたいから早く寝るとそそくさとドライヤーや歯磨きを済ませていた。

もちろん今は命を守ることが一番大切で遊具の使用禁止も公園の閉鎖も必要なことだと思う。
気になっているのはこどもの存在を当事者として捉え考えられているのかということ。自分事化されているのか。
たまたま目にした投稿で年配の方が「遊具が閉鎖になって良かったです」とコメントしているのにもやもやした。
私も良かったと思うし、うちも少し前から遊具は使わないように遊具のある公園には行かないようにしていた。でもそれを大人が批評していることに違和感がある。判断は大人がするしかないのだけど。

じゃあどうすべきなんだよー、何が言いたいんだーってことなんだけど、私が何か明確なクエスチョンを抱いているわけではなくて、公共空間に携わり子育てしている人としてこの違和感はちゃんと考えていきたいことだと思っています、という表明のようなことかもしれません。

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