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絵が好きじゃなくても

ここでは、旅の話だけではなく、絵や音楽の話、創作の話も綴っていきたいと思います。

つい最近、中学生や大学生の子たちに、仕事のことを聞かれる機会がありました。特に中学生の質問はとてもかわいらしい……と言っては失礼ですが、なんともほほえましいもの。

「好きなことを仕事にするために、どんなことをしましたか」
「どうやって夢をかなえたのですか」

これは、何度も何度も聞かれてきた質問。
どうやら、絵やデザイン、アニメーションの仕事というのは、子供のころからの夢であり、好きなことを仕事にしたのだと思われるようなのです。

絵は好きです。
でも特別好きなものでもないです。
絵が好きで好きでたまらないという人は、それだけで才能があるんですよ。

私は残念ながらその才能がなかった。
ただ、ものを作るのは好きでした。絵にかぎらず。

「国境の鳥」

小学生のころの文集には、クラスのみんなの作文に並んで、私だけ小説が載っていました。
提出しなくてはならない日記帳には、日記ではなく詩や物語を書きました。
小学生の高学年から中学生になると、漫画を描くことや曲を作ることに夢中になりました。

高校生になると、振付を作ってダンスをすること、バンドでオリジナル曲を作ることなど、他者と関わりながらものづくりをすることが、私の心を大きく動かしました。

そして、技術を磨くことを知りました。
頭の中では素晴らしいものなのに、外に出したらなんだか変なものになる。
こんなはずじゃなかった……というとき、技術を磨くとだんだんと思い通りになってくるのです。

私はそれに夢中になりました。
自分が昨日よりうまくなっているのが面白かった。どこまで伸びるのか、そして階段を上った先にどんな景色が見えるのか、知りたくなりました。

高校時代、ワンダーフォーゲル部に入り登山をやっていましたが、それも同じ理由でした。登山はそんなに好きじゃなかったのに、尾根を越えるたびに広がる景色が知りたくてたまらなかった。あそこまで登れば何が見えるんだろう?それだけで足を運ぶことができました。

だから、私は特に絵が好きなわけではありません。
でも、先にある何かを見たいという好奇心で絵を描いています。
絵が嫌になってしまった日も、絵に特別なものを感じない日も、ただ作業をしなきゃいけない日も。
いつでも私が描き続けてこれたのは、山や壁の向こう側をただ見たかっただけなのだと思います。

だから私の夢はずっと現実的でした。
いつか叶うものではなく、いまそこにある山や壁しか見えていなくて、ただ一歩一歩、歩いてはピークを超えてきた感覚です。
気がつけば結構遠くまで歩いてきたけれど、今でも夢ではなく現実ばかりが私の前に立ちはだかっています。

あの学生たちは、自分の歩いている道が夢に繋がっていることを信じられているかな。
信じられているといいな。

山を越えたら、思ったのとは違う景色が見えることもあるけれど、それはそれで悪くない人生だと思うのですよ。

サポート頂けましたら、際限なく降りかかってくる紙代と画材代に充てたいと思います。