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シュタイナー教育

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毎朝真っ新な気持ちで起きていた子どもの頃、そんな風に朝を迎えるためにこの記事を書いていきます。
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#シュタイナー教育

Form drawing

ここ何日間か「form」について気に掛かって調べています。 フォームというと日本語にもなっていて、 イメージはつく、、、(テニスのフォーム、とか野球の投球のフォーム、とか、、、スポーツ関連しか思い浮かばない。^^; )が、 はて、なんだろう?と思い始めると気になって検索をし始めました。 ちなみに始まりはシュタイナー教育教員養成の授業で習った 「form drawing」(フォームドローイング)について、説明しようとしたのがとっかかり。 それで検索してみたところ、

滲み絵って?

滲み絵は、 水に浸した紙に3色の水に溶いた水彩絵具で色を置いて、色を描いていきます。 2〜3歳の子ども達は、一色から。 自分の置いた筆から色が生まれて広がります。 その後、2色、3色、と増やしていくと、色が混ざり合うのを楽しみ、或いは混ざらないように慎重に色を置いたり、3色あるのに一色だけを楽しんだり、子どもによって楽しみ方が変わってきます。 どうして滲み絵をするのか? 最初に大きいこと!?を言ってしまいます。 滲み絵は、 自分と水と色、この3つを使って自分と対話する

自由への教育

ここのところ、 自由への教育、、、 自由への教育、 、、、自由への教育、 という感じで、 頭に浮かんできて、 おりました。 自由への教育 は、 字の如く子どもの未来に焦点を合わせています。 その子がいずれ大人になった時、 周囲の思い、社会の趨勢、既成概念、 諸々に捉われずに、 自分の内側の思いに気づいて、 その思いのもと行動にできる、 ように、 との思いから、 先生方は時間と環境を作っている、 と私は考えています。 ルドルフ・シュタイナー博士は、 著

不思議な日

昨日は不思議な日でした。 「死」が、すぐそばにいると感じられ、 虚無感に包まれました。 哀しいわけではなく、どちらかというと満たされているのに、 こんな感じは初めてです。 原因を考えても見当たらず、 ただ疲れていたという事なのかもしれません。 でも今朝、ふっと思いました。 今までの自分は死んだのかも。 昨夜、YouTubeで、 「シュタイナーの世界③〜⑤」を観ました。 https://youtu.be/izwd1H3iidw 随分前に子安美智子さんが娘さんとお孫

シュタイナー教育④ アストラル体と自我

前回、物質体とエーテル体について書いてみました。 補足情報をまた別日に、ということで、 今回は人間本性の第3アストラル体と第4自我。 前回の説明で、物質的な体だけでは鉱物と同じ状態で、 そこにエーテル体が備わることで、 人間の身体が呼吸をし成長することができるようになる、という話をしました。 それは植物界と共有していて、この状態は、シュタイナーの著書「神秘学概論」の中で眠っている状態と言い表されています。 「鉱物素材やその働きだけでは、肉体の形態を維持することができず、そ

シュタイナー教育③人間の身体とエーテル体

身体って、不思議だ、 どうして思うように手を動かすことができるのか、 心臓はどうして動いてるのか、 人間の体は誰が作ったのか? 考え始まれば、世界の全てが不思議なことばかり、 蜘蛛はあんなに小さく細い足でどうしてあんなに早く走れのだろう、 筋肉などあるのだろうか? 花はどうやって花びらを作るのか、 野菜達の小さな種はどこからやってきたの? 挙げ出したらキリがない。 そして最初に挙げた不思議、 人間の身体。 私たちは生まれ持った特性や個性があって、 好き嫌いなどの

シュタイナー教育 ②

写真はシュタイナー教育①に載せた写真と同じ部屋にあるキッチン部分。 シュタイナーの幼児クラスにはキッチンがついていて、そこで先生がおやつを作ったり、洗い物をします。部屋は教室というより自分の家のよう、、、 もとい、家より寛げるかも、笑。 見学などで初めてきた子どもの大半は、直ぐに部屋の中を探索して、 棚などにあるおもちゃで自然に遊び始めていました。 おもちゃは、 手作りの人形や木や毛糸でできた動物、布で作ったマントや帽子、ポシェット、子供用の椅子とテーブルとキッチン

シュタイナー教育 ①

写真は、オレゴンにあるWaldorf School Eugeneの幼児クラスです。 2022年2月23日にアップしたシュタイナー教育で、卒業生や在学生の印象から、シュタイナー教育を説明してみました。 https://note.com/miontosanta/n/n74afc7eb655e 優劣という概念を持たない人達。 そういう感覚が当たり前の人達は、 ただその人として目の前にいて、 私の言葉をふんふんと聞いて、 そこで終わる、 ってことが多かったように思います