ドラマで勉強(虎に翼38話)

今日の「虎に翼」は穂高先生の言葉に様々な意見が出ていました。

志半ばで倒れた同志の想いも背負い、婦人弁護士の道を邁進する寅子。

寅子が思い浮かべる景色はヒャンちゃんとの思い出を作った海。
山陰校のツボを教えたよねさんの周りに人が集まってワイワイしている教室。

久しぶりに会った久保田先輩は「ご婦人らしい」言葉使いになっていた。
男子学生のヤジにも動じず、周りを励ましていた凛々しい久保田先輩はそこにはいなかった。

お飾りの美しい「ご婦人らしい弁護士」という矯正を受け続けたのであろう。
とうとう久保田先輩は折れてしまった。
中山先輩も暫くは育児に専念することを聞く。

「私だけ・・・」と呟く寅子。
寅子は妊娠中であるが、自分が膝を着いたら終わりだから堪え続けた。
そして倒れてしまう。

寅子の顔を見て桂場は「怒りが染み付いている」と指摘する。

「私だけになってしまった。頑張らなければ」から「なんで私ばかり頑張るのだ」に変わっていく。

「何故、皆んなは途中で諦めるのか?私に責任を押し付けて去ってしまったのか?ずるいじゃないか!」
友に対する怒りもあるだろう。

妊娠して思うように動けない自分の体。
これは生理の時と同じようにコントロールできない歯痒さ。

「妊娠した」となった途端に大事にしてくる世間。

私は今まで通りでいたいのに。
どれもこれも腹立たしい。

寅子は全く気がついていないが、よねさんは常に一緒だった。
ずっと変わらず側にいた。
昔より心近くに居てくれている。
寅子のプライドを傷つけない言葉を選び、ブレーキ係をしてくれている。

未だ試験に落ち続けているよねさん。
心情も複雑だと思うが、いじけることもなく寄り添ってくれている。

ブレーキ係と言えば優三さんも同じだ。

兄の直道が戦地に赴くことになり、最後の晩餐の日。
優三さんはメインテーブルではなく、直道の子供2人とちゃぶ台でご飯を食べていた。

穂高先生の言い方もあれだが、寅子も無意識に人を差別をしている。
いつも自分に顔を向け、真摯に向き合ってくれている大切な人を「弁護士ではない」「社会的身分が違う」という理由からか。
寅子にっては透明人間になってしまっている。

同時並行で男性に次々と赤紙が届き、轟も出征することになった。

女性の人権はないが、人権のある男性は有無を言わさず戦地に行かされる。
お国の為と命を捧げさせられる。

「男性だけなんて不平等。私も戦地に行きます」とでも言ってくれれば、真の平等を求めているのだな、と感じることも出来る。
しかし「おめでとうございます」と普通の婦人の対応をするのみだった。

よねさんは、当時は絶対禁句である「死ぬなよ」と声をかけた。
初めて「轟」と人の名前を呼んだのではないだろうか。

男性が少なくなり、寅子の仕事が増えることは予想される。
よねさんは意を決したように「私もやれるだけのことはするから。おまえは一人じゃない」と言ってくれた。
多分、次の口述試験では婦人の身なり、婦人の言葉使いで臨む決意をしたのではないだろうか。

頑なに「自分を曲げない」と言っていたよねさんが、寅子を一人で戦わせない、と曲げてくれたのだと思う。
個人的に非常に感動したシーンだった。

一番の堅物であったよねさんと轟。
この二人は友を想う心がある。

結婚報告の時、穂高先生は「これからも婦人弁護士の先頭に立って」と寅子を喜ばせた。
「君みたいな優秀な女性が学ぶに相応しい」と弁護士の道に誘ったのは穂高先生だ。

しかし、寅子が倒れ、妊娠が発覚した時「きみ、仕事をしている場合ではないよ。結婚した以上、君の務めはなんだね?子を産み、良き母になることじゃないのかね」と普通の人のようなことを宣った。

雨垂れ石を穿つ。

寅子は自分こそが穂高に選ばれた石を穿つ者だと思っていただろう。
穂高先生もその力を認め、誘ったに違いない。

しかし状況は常に変わり、例え力があったとしても発揮出来ない時もある。
穂高先生は「少し休みなさい」と言いたかったのだろうが、如何せん伝え方が悪かった。

「君の犠牲は無駄にならない」と言われたら、「もう私は用済みですか?役立たずってことですよね?」となりますよ。

穂高先生は婦人の人権には進歩的な考え方を持つ人だ。
その為に尽力もしてきた人だろう。
石を穿つには沢山の雨垂れが必要で、その中の一つが”奇跡的に”石を穿つことを待っている人。
ぶっちゃけどの雨粒でも、誰でもよい。

寅子には特別な想いはあるだろうが、穂高先生の志の前では寅子も久保田先輩も同じ雨垂れなのだ。
穂高先生の守りたいものは違うものだった。

寅子が勝手に使命感に燃え、責任を負っているだけ。
使命感や責任感というものは陶酔し易く、渦中の本人には蜜の味。
誰にでも思い当たることがあるのでは?

使命感や責任感は「誰かの為のもの」
まるで自分の意志のように感じるが「自分が無い」状態であることが多い。
概ね事件や事故、今回は倒れることで「はて、自分は何を目指していたんだろう?何をしたかったんだろう?」を考えることになる。

そもそも誰かの人生や志を肩代わりするなど傲慢なことなのだ。
自分が犠牲になっていると思う時、自分も誰かの犠牲や支えによって立っていることを忘れてしまう。

母校の教室で一人机で作業をする寅子。
廊下を駆けていく後輩。
寅子にはその姿は見えていなかった。
自分の後ろには沢山の仲間がいることを。

仕事(キャリア)と子育て。
女性が「産む性」である限り、令和の現在でも大きな悩みの一つである。

あの時代は結婚=子供を作り、育てるだった。
もちろん授かり物ではあるけれど。

逃げ恥婚状態が続けば発生しなかった悩み。
しかし寅子は優三さんと本当の夫婦となった。
であれば、子供が出来ることは想定内であってはずでは?

穂高先生には「仕事などやっている場合ではない」理由を「結婚したから」ではなく「子供が出来たのなら」と言って欲しかった。
こればかりは体、命に関わることだから。

「子供が出来ても仕事は続けたいんです」「今は無理をしちゃダメだ」という押し問答。
ドラマでもよく見るシーン。

個人的に辛いやり取り。
母であっても個の人生は尊重されるべき。
しかし母としての責任も発生するのも事実。

もちろん父になる人にも責任は生じる。
母体となる女性には「思う通りにならない時期」がある。
人によっては数ヶ月、数年でこれも予想も予測もつかない。

母となる人に「こんなはずでは」「子供さえできなければ」という想いが、ほんの一瞬でも心に入り込む。
それを見るのが怖いのだ。

私は子供を持っていない。
子供だったことはあるので、子供の目線でこのやり取りを想像している。

寅子は今、頑張り過ぎて視野が本当に狭くなり、誰の言葉も入らないだろう。
この先「子供が出来て嬉しい、良かった」と思える日が来ることを祈りたい。

男女の性差での差別はあってはならない。
確かに女性というだけで損しているな、不利だなと感じることはある。
生理などは本当に面倒だった。

ただ「逃げ恥」でも思ったことだけど、女性であることは。
子供を産む性であることは、デメリットしかないのだろうか?
男性にはない喜びはないのだろうか?
その描写が一つでも入っているといいな。

そう言えば。
言論弾圧で逮捕された新聞社や出版社の弁護に忙しい寅子の事務所。
何だかんだ寅子を気にかけてくれていた竹中記者はどうなっているだろうか?

寅子には味方が沢山いるのだ。
気がついてくれ、寅ちゃん。



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