家系図
10歳の娘が家系図を作った。サヌキ タキを末裔とする六代に及ぶ壮大な家系図である。
サヌキ タキの父親は香川県出身である。名を豆太郎という。母親はアメリカ北東部、バーモント州出身で、名をHugsyという。Hugsyと豆太郎の間には子が7人いる。サヌキ タキは7人兄妹の長女である。ミックスルーツの子は日本ではハーフと呼ばれるがこの家系ではハイブリッドという言葉が好まれる。
サヌキ タキは娘が作ったタヌキの着せ替え人形だ。母親のHugsyはアライグマなので、正確にいうとタヌキとアライグマのハイブリッドだ。娘は10歳なので、「Species・種」という言葉の定義が交わることができない、種を超えて子どもをもうけることができないということはもちろん知っている。
娘にとってサヌキ タキは自分の分身であるという。分身とは英語でAvatarというんだよと教えてあげた。サヌキ タキ以外のHugsyの子どもは全て娘が持っているぬいぐるみである。
サヌキ タキのすぐ下の妹は外見は母親譲りのアライグマだが、名を「タヌキちゃん」という。娘が生まれて初めてのクリスマスに、シアトルに住む私の姉が「タヌキちゃん」だよと言って娘にくれた。グレーと白と黒のコーデュロイでできたぬいぐるみはどこからどう見てもアライグマだ。「タヌキちゃん」は娘によって長年溺愛された。どこに行っても一緒だったので水溜りに落として泥んこになったりしてこれまで散々ゴシゴシ洗われたが高品質のアメリカ製で、今でももらった時の外観と変わらない。娘は発語が少し遅く、次女が生まれた満2歳の時に言えた言葉は「これ」「ママ」「おとん」「ベイビー」くらいだったが、ベビーサインという赤ちゃん手話をやっていた。「タヌキちゃん」が見つからず悲しい時も、自分のお腹を両手でポンポン叩く「タヌキ」のサインができたので「あぁ、タヌキちゃんが欲しいのね」と探してあげることができた。
Hugsyは4年くらい前にバーモンに住んでいる義母が娘にプレゼントした
アライグマのパペットである。体の下から手を入れて前足や口を動かすことができるぬいぐるみだ。愛されすぎて今では手触りが変わってしまったが、当初はグレーとも茶色とも言われぬ毛並みの美しいアライグマであった。ピンとした髭と顔の毛にうずまったクルリとした目玉がまるで本物のアライグマであるかのように精密にできたパペットである。
妊娠中にどこかで読んだのだったか、もう記憶がないが、誰かが「子どもが自分のHeritageを意識することが安定した情緒を築く」という趣旨のことを言っていた。Heritageとは、遺産や由来という意味もあるがつまり自分の成り立ちのストーリーだ。
元々私も祖母から親族のことを聞いたり古写真が好きだったこともあり、結婚当初から我が家のリビングは先祖の写真をビンテージフレームに入れて飾っている。大正時代に撮られた私の父方の曽祖父母の写真や、アメリカ人の夫の母方の曽祖母の写真まで、(ちなみに私がいつも身につけている婚約指輪はこの人の指輪だ)ありとあるゆる先祖のモノクロ写真が壁を飾る。普段から、昔話をするときは「あそこの写真のおじいさんが、、、」などと話しが展開される。私と夫の両親の写真も若く美しいときの写真を飾っている。
格別、他人に誇れる偉大な家系というのでない。ただ、移民の子どもだったり、うちの娘たちのようにミックスルーツで自分のアイデンティティに葛藤を持ちやすい環境に育つ子どもには特に自分の成り立ちのストーリーを持っていると自己肯定につながると書いてあったのだ。
別に家系図でなくても、あなたのママとパパはこうして出会って恋に落ちて
あなたがお腹にいたときはこんなことがあって、、というような成り立ちストーリーでも良いそうだ。
古代から人間は神話を語り継いできた。神話は国や民族の成り立ちストーリーであると言える。私たちは常にそういったストーリーを必要とするのかもしれない。自分は何者で、なぜこの世界に生きているのかという問いに答えようとする、人間とはそういう生き物なのに違いない。
娘の脳内はタヌキだが、6代に及ぶ壮大な家系図に、まだ少し拙い彼女の10歳の筆跡に、彼女の人間らしい営みが垣間見れる気がする。
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