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「私は日記を書くことで、己の悲しみを救いました」藤原寧子

光る君へ、振り返り
第15話、藤原寧子の、この台詞である。
こ れ だーーーー!!!!
藤原寧子の蜻蛉日記が、後の紫式部であるまひろの紫式部日記、源氏物語につながるという壮大な展開を見せたのですね。
まひろが旅先で、愛読書の作家さんと登場人物に偶然出会って、本物!本物!と盛り上がってるところ、登場人物であった道綱は、いける♡と勘違いしちゃったのね。そうじゃないのに。
大石静さんの、道綱の兄上の使い方が巧み。
この後の回で兄上が、いい女がいてさ〜、まひろって言う…などと道長に話した時、道長のギラリとした目線で一瞬殺されかけてたけど、気づいていないのも、いい。

話は第15話に戻って、ここに源氏物語、空蝉のエピソードを持って来るのも、さすが。
だけど、怒れるさわは、空蝉にはならなかった。
馬鹿正直や道綱は、光る君にはならなかったか、なれなかったのか。
さわとっては、初めて出来た親友であるまひろ様と人違いされた悲しさと、憤りと、
その上この時代、藤原家の男性始め貴族の男性は、恋愛の対象としてだけではない、後ろ盾となり得る存在でもあったのでは。

もう死んでしまいたい!と向かった河原には、本当の遺体がゴロゴロという、コントラストの強い現実。そうだ、この後、疫病で、あの人も、この人も去って行くのだった。
今よりはるかに、死がすぐ隣にある時代。生きて大切な誰かと共にいられる時間の短さ。
共に生きていけない二人もいる。
そして、さわがまひろの文を……
まひろはそこからさらに「何かを書くこと」に強く引き寄せられていくという展開。
寧子、まひろが、なぜ書いたのか、何かを書かずにはいられなかったのか。

千年経った今も、やり場のない悲しさ悔しさを誰かに知って欲しい、書くことで己れの悲しみを救わんとする私がいる。
そんな歴史オタク🔰な母の興奮を、朝から聞かされる妙子でありました。

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この漫画は、借りるより、買いたい。
出版元なのか、解説の語尾にはちょっと笑った。美麗な「大和源氏」の世界を堪能しまくれます、
だそうです。


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